≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(10) 「裏切られた期待」

それからしばらく経って学校が始まり、私は毎日小道を通って山の麓にある学校に通うようになりました。

 学校はレンガ造りの平屋で、広い運動場がありました。運動場の両側が中学部で、東側が小学部。そして、北側には教員室と校長室、それに広い会議室と体育館もありました。雨の日には体育館で体育の授業を受けました。

 先生の中に中国人がいました。劉全余という美術の先生で、今でもよく覚えています。日本語が堪能で、同じ学校の小学部に6年生の息子がいました。息子の名前は劉明仲で、私たちは皆知っていました。

 ある日の午後、高学年の生徒が、美術の授業で人物の肖像画を描くことになり、劉先生が私をクラスの前に立たせモデルにしました。私は先生の指示通りきちんと教壇に立ちましたが、心が落ち着かず、ぎこちなく感じました。自分のクラスなら恥ずかしくもありませんが、目の前にいる人たちは自分より年上のお姉さんやお兄さんだし、女子が少なくて男子のほうが多かったからです。

 しかし、気にすれば気にするほど、悪いことが重なるものです。後ろのほうの席にいた男子が大きい声で先生に、「太ももも描きますか?」と質問しました。その時、私はふっと自分の足を見ると、何と、その日は短くて小さいワンピースを着ていたのでした。思わず顔が真っ赤になりました。

 その服は祖母が私と姉に買ってくれたもので、色もデザインも姉のと全く同じで、白地に淡いピンク色の桜模様が付いていました。襟の部分にレースが付いていて、とても可愛くて、私のお気に入りでした。その服は小さくなったけど、私はやはり好きで、学校へ行く時によく着ていました。

 しかし、今回のようなことが起こるとは思ってもいませんでした。母の言うことを聞かなかったのを後悔し始めました。数日前、母は、私がまた背が伸びたので、中国に来る前に買った学校の制服に替えるよう言いました。でも、私はどうしてもこの服が好きで、古くなっても小さくなっても、他の人の新しい服より奇麗だと思っていました。

 しかし、教壇の下にいる人たちが見ている中で、このワンピースは太ももを隠すことすらできないくらい短くなったんだということに気が付きました。ただ、いまさら後悔してももう遅かったのです。

 私が後悔していると、席にいる生徒たちががやがや騒ぎ始めたので、私はなおさらどうすればいいか、分からなくなりました。熱があるときのように顔が熱くなり、授業終了のベルが早く鳴るのを祈るばかりでした。ちょうどそのとき、ある生徒が大きな声で、「先生、描き終えました」と言うと、その絵を教壇の上に出しました。

 劉先生はその生徒の絵を手にとって、満面笑みを浮かべながら、「なかなかいい出来だ。ただ、頭が大きい割りに、体が小さすぎて、バランスが今一つだね」と評すると、筆で肩の部分を直しました。そのとき、私はこっそり覗いてみると、この生徒は何と、私を随分太く、顔も醜いほどに真ん丸く描いていました。私は心中とても面白くなかったのですが、私を醜く描いた生徒のせいにすればいいのか、それとも私をモデルにした先生のせいにすればいいのか、分かりませんでした。しかし、結局は、自分がそのワンピースにあまりにもこだわったから、恥をかくことになったのです。

 ようやく授業が終わり、劉先生は、「飯塚正子さん、ご苦労様でした。ありがとう」と言いました。私はすぐさま先生にお辞儀をすると、教室から逃げるように走り去りました。後ろで生徒たちが何か言っていましたが、何も聞こえませんでした。

 それ以来、高学年の生徒たちはみんな、私が飯塚正子だということを知るようになったのです。私と劉先生のも不思議なもので、私が孤児になって随分経ってから、また先生に偶然会うことになったのです。

(つづく)