【中国伝統文化】苦しむことは、福である

【大紀元日本11月13日】誰もが「勝ち組」になろうと頑張る現代社会。地位とお金があって、家族は豪邸に住み、バケーションは海外で―そんな優雅な生活にあこがれる人は多いでしょう。誰しも、人生の成功者となりたいだろうし、しみは受けたくないものです。ところが、古代中国では現代の常識と全く逆のことが教えられていました。お年寄りたちは、子供たちに「苦を嘗めること」は決して悪いことではないと教え、負けを認め忍耐することは、人間として向上する上で、必要なことだと教えていたのです。

苦しみを受け、忍耐することは非常に困難なことですが、その分人間としての度量も大きくなります。人徳の高い人は、屈辱に耐えることもでき、その場の状況を改善することができます。古代中国の時代、林退斋(Lin Tuizhai)という高官がいました。彼は、ひと財産を築き、多くの子供や孫にも恵まれ、人徳も高いと評判でした。彼が死ぬ間際、子供たちは彼に人生についての訓戒を請いました。林退斋は、「ワシから言うことはあまりない。相手方を許すことさえ学べれば、それで十分だ。歴史上、多くの英雄がいたが、彼らは自分の過ちや損失を一切認めなかったために、失敗した。一方、偉業を成し遂げた英雄もいる。それは、彼らが屈辱を受け入れ、自分が負けたことに固執しなかったからだ。」

古代中国では、屈辱を受け、損失を被ることができる人は英雄であり、それに耐えられなければ悪者であると考えられていました。清朝 の文人・魏禧(Wei Xi) は、かつて言いました。「君子とは何か、よく分からないが、君子のようにすべての損失を受け入れ、忍耐することのできる人を尊敬する。悪者が何かはよく分からないが、いつでも勝利のみを求める人は悪者だ、と私は思う。」

古代中国の時代、「苦しみを嘗めることは、である」という諺がありました。その意味は何かというと、つまり苦しみを嘗めることで過去の罪が消されるということです。もし過去の世において苦しみを嘗め、善をなし、徳を積めば、来世には福となって返ってきます。反対に、悪行を積めば災難となって自分に降りかかると信じられていました。このような考え方でいけば、勝ち組になるために常に他人と戦うより、たまには人に譲って損失を被り、負けることは決して悪いことではなく、むしろ天の恵みかもしれません。

(翻訳編集・田中)