【党文化の解体】第6章(6)

【大紀元日本12月27日】

2. 典型的な「党八股」用語

4)奮闘、自己批判、闘争、批判と自己批判――闘争を扇動して「党」の結束力を強める

「運動が起きた! 運動が起きた! 」、映画『芙蓉鎮』の終わりに、気が狂った王秋赦が銅鑼を叩きながら出した叫びは聞く耳を怯えさせるものだ。「AB団粛清」、「延安整風運動」、「反革命鎮圧」、「三反運動」、「五反運動」、「反革命分子の粛清」、「反右派」、「四清運動」、「文化大革命」、「法家を尊い儒学を批判」、「林彪と孔子儒教をともに批判する運動」、「右傾巻き返しに反撃」、「精神的汚染に反対」、「ブルジョア自由化に反対」、「反革命暴動を鎮圧」、「法輪功を反対」など…中国共産党が誕生して以来、一刻も「運動」と闘争が止んだことがない。闘争の哲学は中国共産党が政権を奪い取る時の理論基礎であり、中国共産党邪教の生存方法でもあり、絶えずに闘争することで敵対者を淘汰して、党員の「党性」を育成して、党のためにエネルギーを補充する。中国人が慣れた「党話」には、階級闘争、路線闘争、思想闘争、闘争精神、生きるか死ぬかの闘争、対敵闘争、○○な闘争、闘争の中に頼れる力、闘争の打撃対象などがあり、「闘争で団結を求めれば団結を手に入れることができるが、譲歩で団結を求めれば団結を失うものだ」(毛沢東の言葉)。

「党話」の影響を受けて、「闘争」は現代中国人の言葉に正常な生活状態として導入された。中国人は努力して何かをしようとする時によく慣習的に「奮闘」を使う。「…のために…奮闘する」、「長年の奮闘を経て、私はやっと…」、「奮闘すれば必ず犠牲が伴うので、死亡事故も日常茶飯事だ」など。普通、何をしたい場合努力すれば良いが、どうして闘わないといけないのか? 

また、「妥協」という言葉を見てみよう。多くの中国人の用語に「妥協」はマイナスの言葉として使われ、よく「降参」と関連される。しかし、「妥協」はもともと一つ中性的な言葉だった。政治、経済の交渉において、最後に互いの譲歩、妥協があってこそやっと交渉の結果が成立できるのだ。国際社会において、衝突の双方が互いに譲歩しなかった結果は往々にして戦争と流血を起こすので、先に武力を放棄して譲歩と妥協をし、衝突を緩和させて和解させる側は、よく「ノーベル平和賞」にノミネートされるのだ。しかし、党文化には闘争は「歴史発展の動力」と見なされて、「妥協」は衝突を緩和させて歴史の進歩を妨げるものと見なされて、当然マイナスの言葉にされてしまった。

「自己批判」、「批判と自己批判」は中国共産党が闘争を起こす手段である。前もって言っとかないとならないのは、党文化の中の「自己批判」は伝統文化の中の「反省」とは別物である。後者は伝統の道徳規範(普遍的な価値観でもある)、例えば「仁義礼智信」などを参考基準にして、精神の昇華と内心の清浄を求めて低俗な欲求を放棄するような内心からの自覚と修正の過程である。一方、中国共産党の「自己批判」は闘争の手段で、その目的は「思想を統一して」、闘争を起こして敵対者を一掃することである。参考基準にしているのは中国共産党の教条だが、中国共産党の教条はころころ変わるものなので、「昨日堅持した原則は今日になったら放棄して、明日また更に変える事は多々ある」(『中国共産党に関する九つの論評』)、共産党に対する忠誠程度が実の参考基準になって、「党がいつでも正しい、間違ったのはいつでも自分自身だ」。だから、「自己批判」する者は自分の本心をねじ曲げて、自分に無理に罪名を押しつけて自分を批判することを通じて、共産党に対する保留しない忠誠心を表す。「自己批判」の目的は心の浄化でなく、ある種の政治もしくは物質的な利益のために、しかたなく自分の心をねじ曲げて、「党の考察と試練」を通すためである。

一方、現実の中に、「自己批判」をする目的はよく他人を「批判する」ためだ。ほとんどの中国人はこのようなシーンを熟知するだろう。「党の組織生活会議」に某党員はまず、自分が「せっかちで、仕事の進め方に改善すべき部分がある」と反省して、それから話題を変えて、長々と他人を批判して攻撃し始める。互いの攻撃を鼓動させることは、このような「自己批判」の特徴といえよう。

これら「党話」は知らず知らずのうちに中国人の思想と行為を大きく変えていった。「党話」に慣れた中国人は、日常生活の中で「闘争をもって楽しみ」と自覚するようになり、中国の古典文化の中の敵を騙して懲らしめる悪知恵を活用している。「和を尊ぶ」という中国の伝統はこのように「内輪げんか」の特徴を呈する党文化に変異されていた。

3.中国共産党は「党話」で中国人の生活を再編

マルクス主義は暴力を使って世界を変えることを提唱。いったんある種の理論(正確性が完全に証明されていなくても)は大衆の熱狂を扇動したら、大衆は理性を失った暴力行動に走り出すのだ。そのため、共産党は生まれた日から理論、および理論を書面化させるための道具―言語を非常に重視する。言語は共産党が世界を「変える」ための最も重要な道具の一つといえよう。

中国共産党が徹底的に中国の政治制度と社会構造を変えて、中国人の精神信仰、思考方式と生活様式を変える時に頼った道具の一つは言語だ。共産党は伝統的な、正常な言葉を消滅させながら、「党話」の言葉を造ってもしくは正常な言葉を「党話」に改造して、それから「党話」で中国人の生活を制約していった。

本節では、まず日常生活によく聞こえる「党話」を表に整理して、隅々まで浸透して、その存在に我々は慣れてしまった「党話」を読者に概ねに把握してもらい、それから政治体制の面、精神分野の面、個人の生活空間の面から「党話」はどのように中国人の生活を再編したかを述べる。

(続く)