【紀元曙光】2020年12月16日

昨年の今頃を思う。
▼日本人は、あまりにも呑気であった。「来年は56年ぶりの東京五輪だ。外国から多くの観光客が来るぞ。インバウンドの追い風で、景気は良くなるに違いない」。そう考えることに罪はない。経済は実数であるが、景気とは、良くも悪くも一種の気分である。そこに明るい見通しがあってこそ先行投資もできる。
▼血液の循環を良くするように、お金を滞らせず回していくことが社会にとって有益であると、通常は考えてよい。ただ、通常でないことが起きた場合に、どれほど耐えられるか。そこで経済の本当の強さがはかられる。
▼今年、想定外をはるかに上回る、超級の想定外が起きた。一年前に、今の日本を想像した日本人はいなかっただろう。アスリートには気の毒としか言いようがないが、霞がかかったまま見えない東京五輪パラは、もはや開催を前提に準備費用をかけることの意味が問われる段階に至っている。
▼ふたたび昨年を省みる。香港の市民と学生が、北京の圧政に対して壮絶な抵抗を続けていた。彼らは天賦の権利である人権をもとに「香港の自由と民主を守る」という、当然の権利を主張しただけである。彼らのどこに誤りがあろう。一部で、暴徒的な動きを見せたものを既成メディアが伝えたが、それが本当に「市民」であるかは分からない。
中国共産党は、徹頭徹尾、暴力と欺瞞を用い、カネで親中派を買収して香港の民意をつぶした。日本はそれを対岸の火事のように傍観していたが、あっという間に飛び火して自国が炎上し始めた。中共が変異した「中共ウイルス」によってである。