【紀元曙光】2020年12月26日

中国遼寧省の大連(だいれん)を「たいれん」と呼ぶ人は、もう少ない。
▼戦前戦中の大連にいた経験をもつ人であろう。この地を、限りない愛郷の念を込めて「たいれん」と呼ぶ日本人は、かつて東洋のパリと称賛された大連の美しさを知っている。もとは名もない漁村だったこの地に、洗練されたデザインの近代都市と、大型船が寄港できる港湾設備をつくったのは日本だった。
▼私事で恐縮だが、小欄の筆者は32年前の1年間を大連で過ごしている。留学生といいながら勉強をした記憶はなく、街でおいしいものを探して食べるほうに熱心だった。海産物が安くて新鮮なのが日本人には嬉しい。夏休みは、星海や老虎灘の海で泳いだ。このまま大連の海に溶けてもよいと思った。
▼ある日、自由市場のなかを歩いていたとき、香辛料を売る中国人の大爺(おじいさん)から日本語で声をかけられた。見ると、その満面の笑顔には何の裏表もない。「若い頃、日本人の店で働いた。旦那は、とても良くしてくれた。今も忘れていない」。何度か会ううちに、大爺の家に招かれて手料理をごちそうになるほど仲良くなった。大連での、夢のような思い出の一つである。
▼以来、大連には一度も行っていない。記憶のなかの完成された美景が、壊されるのが怖いのだ。もっとも、今の筆者が中国に行けば、気味の悪い公安がくっついてくるので行くはずもないが。
▼大連で中共ウイルスの感染が再燃し、PCR検査を大規模実施中だという。いやいや、中共の欺瞞「ウイルスに完全勝利した」がボロを出しただけなので、べつに驚きはしない。