≪医山夜話≫ (23)

信頼

ジャックは弁護士です。初めて私の診療所に来た時、彼の表情は患者というよりも、むしろ裁判官といったほうが適切でした。

「あなたはいつから漢方医を始めたのですか? どの学校を卒業して、どんな学位をもらったのですか? 最も得意な医術は何ですか?」。彼の一連の質問は、疑いに満ちています。私は冷静に、礼儀正しくすべての質問に答えました。横に立っている研修医は小さな声で「まったく…自ら治療を頼んできたことを忘れたのか」とつぶやいています。ずっと落ち着いたまま、何の反応も示さない私を見て、彼女の顔は更に赤くなりました。消毒綿を手に取って、もうすぐ彼の身体に刺す針をより太いもの変更しようとする動きを私は察知しました。

私がジャックに病気の原因を尋ねると、彼は足底が痛くて、運動どころか歩くことすらできないと訴えました。立ち上がると足底に1万本の針を刺されたような痛みが走るのです。彼は多くの病院に行き、各種の治療を試みましたがすべて効き目がありませんでした。試しに漢方の鍼灸をやってみようと思い立ち、私のところへ来ました。私は一般の療法に準じ、彼の足を治療しました。帰る前に、彼は礼儀正しく「もし足の痛みが本当に止まったら、来週、診察料を振り込みます」と言いました。

私はうなずきましたが、研修医はとうとう我慢できなくなって言い返しました。「ここはスーパーの商品と違います。気に入ったら料金を払い、気に入らなかったら返品するなんて、病院では通用しませんよ」

「弁護士の場合、お客さんに対して初回のカウンセリングは無料ですよ」。彼はあくまでも礼儀正しく、冷たい返事をしました。

それきり、彼はずっと私の診療所に来ませんでした。

1年半が経ったある日、ジャックは突然また診療所を訪れました。今回、彼は一種の赤痢を患っており、病院での治療が効かなかったため、しかたなく私のところへやって来ました。この種の下痢の発病はとても早いのですが、命の危険を伴いません。今回、彼の態度は前回と違って、疑心と傲慢な口ぶりがなくなりました。

今回、彼は保険会社に診察料を負担してもらえるため、私の診療所へ頻繁に来ています。少しずつ、私は彼の状況を把握しました。

なぜすべての人に対して疑いを抱えているのか、と聞くと、彼は自分の幼少時代のことを話してくれました。

「祖父は米国へ移住してきた時、少量の荷物の他は何も持たず、ポケットは空っぽでした。一文もないところから出発して、パン屋を数軒持つ経営者になるまで、一生、多くの苦労を経験しました。父も貧困と苦労に満ちた中で大きくなったので、私に対する唯一の期待は「金を稼ぐ」ことでした。私は小さい時から人を信用してはいけない、人に頼ってはいけないと教育されました。サッカーをやる時、父に足を引っ掛けられて頻繁に転倒しました。ある日、自転車に乗っている時、父にぶつからないために私は転ぶことを選びましたが、傷だらけの顔をした私に、父は「馬鹿やろう」と罵声を浴びせました。更に忘れられないのは、私がはしごを登る時、父はぐいっとはしごを倒したのです。どうしてこのようにするのかと聞くと、父は、「他人を信用しないこと、他人に頼らないことをお前に教えているのだ」と答えました。「でも、お父さん、あなたは『他人』ではないですよ」と私が不思議そうに言うと、「いや、お父さんも『他人だ』と教えられました」。

ここまで聞いて、あまりの驚きで私は言葉が出ませんでした。

そして、なぜ彼がこのように発病が早く、根治ができない下痢を患ったのか、その原因が少し分かりました。漢方では、すい臓が弱まると身体中の気が滞るようになり、長い間滞ると下痢になると解釈しています。一方、すい臓は人間の「思い」を司り、彼は長年不安の中で生きてきたため、誰も信用できません。長期の情緒不安定は腸の痙攣を誘発し、下痢はずっと彼の人生で続いていたのです。

彼の病を治療するには、根本から心の中のシコリを解さないといけません。しかし、それは漢方薬と鍼灸でできることなのでしょうか?

では、どうやって根本から彼の心理状態を変えられるのでしょうか。 本当に効き目のある治療法とは一体何でしょうか。私は自分に問いかけています。

(翻訳編集・陳櫻華)