大紀元時報
わたしは媽媽

ニッポン子育て発見記 2 「お辞儀をする心」

2021年5月16日 15時00分
photoAC
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《日本の皆さん、こんにちは。私は中国出身で、今は日本で生活しながら3人の子どもを育てている媽媽(マーマ)です。私は日本が大好きです。そんな私が発見した日本文化のすばらしさを、皆さんにお届けします》

日本人は、皆さん優しく、謙虚な心をもっておられます。人を尊重する基準は身分や地位ではなく、まず相手の人を大切であると考え、自分のほうを控えめにする、つまり謙虚や謙遜を、なによりの美徳とするのが日本人の考え方のようです。

もう10数年前のことです。それは私が日本へ着いた翌日でしたが、浮き立つ心にまかせて一人で散歩に出ました。家の近所の静かな路地裏を歩いていると、道の向こうから60代半ばの、小柄な日本人女性がゆっくり歩いてきます。身長が140センチもなさそうな彼女に比べると、私のほうはずいぶん背が高くなったような気がしました。

私はと言えば、胸を張り、顔は微笑んだまま進んでいました。背中の丸い、その日本人女性は、静かな微笑みのまま私の前へ来ると、私に向かって「こんにちは」と言われ、腰を90度折るほど丁寧に、深々とお辞儀をされたのです。

私は、ある意味でショックを受けました。あわてて私も「こ、こんにちは」と言って、女性をマネするつもりで、ぎこちなくお辞儀をしました。しかし、私にはお辞儀をする習慣がなかったので、ちょっと頭を下げただけでした。

もちろん、全く見知らぬ方でした。日本の優しいお婆さんが、中国から来たばかりの私に、腰を90度曲げて見せて下さった「究極のお辞儀」。そのお姿は、今も忘れられません。私にとって、人からこのように挨拶されるのは、生まれて初めてのことでした。

「なぜこの方は、自分より年下の私に対して、これほど丁重な挨拶ができるのだろうか。しかも、こっちは見知らぬ相手なのに」。家に帰ってから、夫にその疑問を投げかけてみました。夫は笑いながら「日本人は、そうなのさ。驚くことはないよ」と言いました。

その3日後に、主人の職場の同僚の方で、50歳ぐらいの日本人男性にお目にかかった時もそうでした。その方は私にきちんとお辞儀をして「初めまして。よろしくお願いします」と挨拶されたのに、私のほうは、車の中で「よろしくお願いします」と言って、首をこくんとさせただけだったのです。お辞儀や挨拶が自分の身についていないとは、こんなにも恥ずかしく後悔するものだと、身に染みて感じました。

私の子どもが日本の小学校に通い出した後の、ある日、担任の先生が家庭訪問で我が家に来られました。玄関のドアのところで、まず先生がお辞儀。つられて私も、お辞儀。もういいだろうと私が頭を上げると、先生はまだお辞儀の途中だったので私も再び、お辞儀。しばらく経ってから、二人同時に頭を上げました。

担任の先生は、私の子どもの長所を、たくさん話してくださいました。母親の私でも、全く気づいていなかったこともありました。子どもなので、もちろん直すべき欠点もあるはずです。私がそれを言うと、担任の先生は「いやいや、子どもですから、そういうところもありますよ」と言われて、とても大らかに、子どもの全てを包み込むように話されたのが、中国人媽媽の私にはむしろ驚きでした。先生は最後に「では1年間、よろしくお願いします」と言われて、また長いお辞儀をして帰っていかれました。

日本にだいぶ長く住んでからですが、「日本人は、身分が高い人ほど謙虚で、謙遜した態度をとられる」ということを発見しました。

忘れられないのは、日本の東北地方が大津波で被災した時に、当時の陛下ご夫妻が現地を何度も訪問され、避難所の床に膝をついて、被災者を直接励まされていたお姿です。中国の四川大地震の際には、日本の救援隊が亡くなった中国の同胞に向かって頭を下げ、黙祷を捧げてくれました。身分や貧富の差もなく、全ての生命を貴いものとして頭を下げるお辞儀は、人間として本当に美しい姿だと思います。

選挙の前に立候補者が駅前でお辞儀しているのは別としても、茶道や武道などの日本文化のなかに、お辞儀の作法があります。私は日本文化を知ってから、日本人の謙虚さが大好きになって、いつしか私も90度のお辞儀をするようになったのです。

それ以来、私は心からの敬意を持って、全ての人に対応しています。

 

前回の記事はこちら

ニッポン子育て発見記 1 「静かにする」教育 

https://www.epochtimes.jp/p/2021/05/73067.html

 

(文・心怡 翻訳編集・鳥飼聡)

 

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