大紀元時報
わたしは媽媽

ニッポン子育て発見記 6 日本の「リサイクルと環境保護」

2021年5月20日 12時48分
photoAC
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《日本の皆さん、こんにちは。私は中国出身で、今は日本で生活しながら3人の子どもを育てている媽媽(マーマ)です。私は日本が大好きです。そんな私が発見した日本文化のすばらしさを、皆さんにお届けします》

昔の中国人は、天人合一(てんじんごういつ)を称えました。

人は、自然の法則に随い、自然に感謝してこそ、子孫や後世に尽きることのない「財産」を残すことができます。日本は、自国を経済的に発展させる一方、自然を大切にする思想を忘れず、省エネルギーや環境保護を推進してきました。日本の子どもたちは、小さい頃から省エネや環境保護について学び、その大切さを知っています。これは、とても重要な教育であると思います。

私は、日本に来たばかりの頃、ゴミ出しの方法が分からず、いつも頭を抱えていました。悪気はなかったのですが、ゴミの分別ができていないため、ゴミ置き場に出しても回収されず残されてしまうのです。日本のゴミは可燃ゴミ、不燃ゴミ、資源ゴミ、危険ゴミ、粗大ゴミなどに分けられており、必ずその分類に随って、決められた曜日に出さなければなりません。

資源ゴミの回収には、特に細かなルールがあります。缶、びん、ペットボトルは、必ずきれいに洗ってから出します。古新聞や雑誌などの紙ゴミは、ひもで縛ります。古着や古布は、洗濯してからきちんと畳み、資源ゴミで出します。回収後は、布の繊維をほぐしてリサイクルするか、状態の良い古着は発展途上国へ寄付されるそうです。

こうした日本の「整然としたゴミ出し」は、そのようなルールが全くなかった国から来た私にとって、本当に難しいことだったのです。

日本の街を見て、こんなことにも気づきました。どこにもゴミ箱が置かれていないにもかかわらず、日本の街は非常にきれい。つまり、ゴミを投げ捨てる日本人がいないということです。これは一体、どのような教育の結果なのでしょうか。

日本の小学校では、社会科見学という課外授業があります。例えば、地域のゴミ処理工場や水浄化センターなどを訪れて、そこの職員さんに説明していただきます。子どもたちは、こうした現地学習を通じて、環境保護やリサイクルの大切さを学ぶのです。

もちろん小学校の教室でも、ゴミ減量や省エネ、あるいは環境保護の大切さを学ぶ授業が行われています。例えば、学校の給食には毎日牛乳が出ますが、その紙パックを開いて洗い、乾燥させ、リサイクルに出す、という作業も、授業の一環として生徒にやらせています。

日本の小学校が行っているこのような環境保護の教育を、私の子どもたちも受けました。私は、そのことをとても喜んでいます。

それはまさに、昔の中国人が大切にしていた天人合一の思想に合致しており、自然を敬い、人間の命を大切にするものだからです。人間が生きる環境を汚染したり、破壊したりすることは、祖国と自民族に必ず天罰をもたらします。自分の生まれた中国の惨状を思う時、私は深い悲しみを覚えるばかりです。

冒頭のゴミ出しの話に戻したいのですが、日本社会のルールに従ってゴミを出すことは、勤労や納税の義務と同じく、私がこの国で生きていくための基本的な義務の一つだと思います。ルールとは無条件に従うものですので、私ももちろん、そのようにします。

私の3人の子どもたちは、日本の学校で学び、成長しました。そこで、ふと私自身のことを考えるのです。私は10数年、日本に住み、日本の会社に勤めてきました。そのなかで、日本人と同じように、謙虚に礼儀正しく行動し、責任を負うことを学んだにもかかわらず、傲慢であった私の性格はなかなか改められず、日本人にとっては当然のことである団結の精神やチームワークを、内心では受け入れられなかったのです。

あるとき私は、私の子どもたちの顔を見て、はっと悟りました。手の指は、ただ一本ではとても弱く、折れてしまいますが、五本の指を固めて拳にした時には、大きな力を発揮できます。

私が中国で受けた中国共産党の教育は、残念ながら、他人や自然を尊重する教育ではなかったのです。私の傲慢な性格は、その中で形成されたものに他なりません。

しかし今、私は日本に住み、日本人の皆さんとともに生きています。だからこそ、自分のなかの「中共の残滓」を完全に捨て去り、日本の皆さんと本当に「固めた五本指」になれるよう、がんばって生きていきたいと思います。

私は、日本で働き、日本で生きる。中国生まれの媽媽(マーマ)です。(了)

(文・心怡 翻訳編集・鳥飼聡)

 

 

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