【千古英雄伝】チンギス・カンーー「大草原の王者」(四)

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ミンガンーー千人隊制度

チンギス・カンはナイマン部族を討伐するに当たって、初めて自らの軍勢を再編成して千人隊に区分し、これにより軍隊の規律や士気がより一層高まりました。その成功した前例をもって、建国後、チンギス・カンは全面的に千人隊制度を推進し、十進法に基づいて、軍隊に千人隊・百人隊・十人隊を設け、絶対的な忠誠心を持つ親兵たちをそれぞれの隊長に任命しました。その後、千人隊の上に万人隊を設け、自分の側近たちを万人隊長に任命したのです。

千人隊の実施は、旧来の氏族的紐帯を解体し、ばらけていた部隊をまとめ、戦闘力を高めただけでなく、各部族の復活の可能性をも絶やし、カアン(最高指導者)の絶対的地位をも保障しています。
 

才能を重視

チンギス・カンは人材の採用において、個人の才能のみを評価し、その人の出身や部族背景を問わず、その上、個人の恩怨をも気にせずに、敵対していた部族の人材をも採用しました。例えば、側近であったジェベやムカリなどは敵対していた部族の出身です。

戦利品を分配する時も、功績を上げた人は皆それなりの賞与をもらえることができ、万人隊長や千人隊長を任命する時も、功臣たちの利益を考慮しています。チンギス・カンの側近や親衛隊は、各種の特権を享受していただけでなく、彼らは子や孫にも、側近や親衛隊に敬意を払い、傲慢無礼な態度を取ってはいけないと教えました。
 

「大ヤサ」ーーチンギス・カンの制定した成文法典

初期のモンゴル部族には文字がなく、口頭や絵などで受け継がれてきました。共通の文字がなかったため、大きな国家を統治することは容易ではありませんでした。チンギス・カンは臣下たちに文字の作成を命じ、ウイグル文字をもとにしたモンゴル文字が作られました。それ以降、モンゴルで文字が使われるようになったのです。文字ができた後は、国家制度の整備です。

 

ジャルグチ(断事官)の持つ「ヤサ書」(『集史』:パブリックドメイン)

 

建国前、チンギス・カンは軍令として、軍隊のために「ヤサ」を制定しました。例えば、戦場では、物品や戦利品などを強奪してはならないことや、退却命令に逆らってはならないことなどが挙げられています。建国後、チンギス・カンは「ヤサ」や、遊牧民たちの生活習慣や社会関係、これまでの治国、軍隊の訓練、社会秩序の維持などの経験をもとに、「大ヤサ」と呼ばれる成文法典を制定しました。

「大ヤサ」はモンゴルの社会秩序の整備や、カアンの地位を固めるのに大きな役割を果たしたのです。
 

異なる評価

チンギス・カンの生涯の行いについて、学者の間では、様々な評価があります。しかし、客観的に見て、チンギス・カンの西征や南への侵攻は、中国と西洋の経済の発展や、文化の融合において有利だったことは否定できないでしょう。中国の火薬や紙幣、駅伝制度は西洋に流れ込み、そして、西洋の医学や織物品、天文、暦法などが中国に入ってきました。

国家や立場によってチンギス・カンに対する評価は異なりますが、しかし、モンゴル人にとって、チンギス・カンは永遠の英雄です。西洋人にとっては、アレクサンドロス大王と肩を並べるほど偉大な征服者でしょう。
(完)

(翻訳編集 天野秀)

阿哲