モンゴル草原の女王:アラカイ・ベキ(下)
娘が逃亡していることを知ったテムジンは、直ちにオングト部の内乱を鎮圧し、再び愛娘をオングト部に送り返しました。再び戻ってきたアラカイ・ベキは強い意志を持ち、決然とした一人前の指導者へと成長したのです。
地理的な位置により、オングト部は中原とモンゴル草原をつなぐ架け橋となり、遊牧民が必要としている食糧や茶葉、シルクなどの物品はオングト部を通じて草原まで運輸しなければならないため、遊牧民族の繁栄に連れて、オングト部も徐々に盛んになりました。これには、アラカイの功績は欠かせません。
アラカイがオングト部に戻った時、ちょうど、テムジンがチンギス・カンとして即位する頃で、亡くなったアラクシの忠誠心を嘉して高唐王に、その妻アリクを高唐王妃とし、また、ボヨカはまだ幼かったためにセングンを北平王として厚遇しました。
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「あなたは父と義兄弟の契りを結びました。私はあなたの息子であるも同然です」とテムジンは用意していたマントをトオリルに差し出しました。このマントは、クロテン(イタチ科)の毛皮で作られた珍しいものです。
テムジンはタタル部族を征服した後、将官たちを連れて陣営を巡回していました。この時、どこからともなく子どもが走ってきて、「エージ(モンゴル語で母という意味)に会いたい」とテムジンの足に抱き着きました。