危うく猫が嫌いな人生を、猫への愛を知らない人生を送るところだった。シェリー爺ありがとう。写真はイメージです。(マハロ / PIXTA)

「シェリー爺」【私の思い出日記】

かのシュバイツアー博士の言葉「人生の困難から逃れる道は二つある。音楽とだ」。

昨今の住宅事情でペットを飼えない人もたくさんいる。動物が好きなゆえに、「責任もった飼い方ができないなら飼わない」という人は私は好きだ。散歩中の犬や外猫を見て、ふと忙しい足をとめて、やさしい表情で動物と笑みを交わしている姿に接すると、この人絶対いい人だと思ってしまう。

21世紀はこうゆう心持ちの人達が成功する時代だと確信する。選挙の立候補者のプロフィールで、犬・猫好きと分かると、その人に党派をこえて応援したくなってしまう。虐待されても、放置されても、何の抗議もできない弱い存在をいたぶる人は最低だ。厳罰に処してほしいと真剣に思っている。それほどペットたちは愛おしいのである。

私は小さいころからずっと犬派だった。猫は苦手だった。家で飼っていた鶏が、猫に食べられて死んでしまった。お尻に猫の歯形がついていた。また、犬の散歩中に猫が襲いかかって来たので、手に石をもって猫が来たら、いつでも投げられるように準備していたこともある。

しかし、今から20年前、娘が突然「子猫の夢を見た。欲しいな」と言い出した。そんな言葉を聞いた数日後、友人と会うために出かけたとある駅で、ボランティアが主催する猫の譲渡会に出会ってしまった。

その時、作家の新井満さんのことが頭に浮かんだでしまった。新井さんのお子さんたちが犬を飼いたいと犬を選びに行ったが、連れてきたのは、貧弱で可愛くない犬だった。驚いたが、子供達の「あまりにもみじめで誰も欲しがらないから。うちで飼わないと、どうなるかわからない」という言葉に飼うことを決心。月子と命名されその犬は、その後彼の一番の友になり、インタビューにも同席していた。

その記事に感動したことを思いだした私は、一番小さくて痩せていて貧相な猫ちゃんから目が離せなくなって、その場で彼を飼うことを決断した。ボランティアの人が家に届けてくれた。

それからが大変。八王子のごみ箱で発見されて、目にいたずらされた跡があったという猫は、尾崎豊の「シェリー」からシェリーと命名された。なつかず、暴れるし、大変だった。自分の短絡的な決断に後悔もした。あの時、あの駅で友人と会わなければと思ったりもした。毎日が格闘であったが、だんだん慣れて、その以前から飼っていたチワワのアリスのやさしい友情もあって、シェリーは我が家の猫になった。

今年で20歳。いまは「シェリー爺」とよばれている、そのあとに、また縁があって我が家に来た猫の「くるみ」と今はゆっくりと老後を過ごしている。ほんのタイミングで、危うく猫が嫌いな人生を、猫への愛を知らない人生を送るところだった。シェリー爺ありがとう。シュバイツアー博士の言葉が理解できる私になれたことを。

 

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いつもご飯がほしい時にニャーニャーと鳴き、食べ終わったら振り返らずに出て行く、抱っこをするのは見ていない時だけ、よく家出して長い間帰ってこない、突然お腹を見せて甘えてくる・・・このように猫の行動はいつも気まぐれです。