軍需品にシルクの肌着 その理由は?(上)(大紀元)

チンギス・カンーー世界貿易の原型を築く(中)【千古英雄伝】

チンギス・カンの3男、オゴデイの養子である楊惟中は知略に長け、二十歳にして西域30以上の国々に赴き、政令・條格の布告、人口調査による戸口の登録など、現地の統治体制を整え、大きな功績を収めました。この他にも、楊惟中は活版印刷伝播の重要な功臣でもあったのです。

北宋の時代、一般の百姓の畢昇が活版印刷を発明しましたが、当時は、民間でのみ使用されていました。南宋の時代になって、木版印刷は金属製のものに改良されたものの、金王朝との対峙により普及範囲が限られていたのです。

元王朝の政治家・姚枢は活版印刷の普及を提唱し、楊惟中と知り合った後、オゴデイに紹介されました。

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1995年12月、米紙「ワシントン・ポスト」は、「Man of the Millennium」に選ばれたのはチンギス・カンであることを報じました。その理由は、チンギス・カンはグローバル的な観察力で、ヨーロッパとアジアをつなぐ自由貿易圏を切り開いたことです。インターネットがまだない700年ほどの昔、チンギス・カンはすでにグローバル的な情報流通の道を開き、各国間の距離を縮めたのです。