チンギス・カン――軍需品にシルクの肌着 その理由は?(上)【千古英雄伝】
「武力をもって天下を争い、王たる者が国を治める」
かつて、向かうところ敵なしとされていたモンゴル兵ですが、チンギス・カンの要求により、すべての兵士にシルクの肌着が配備されていました。
ロバート・マーシャルの著書『Storm from the East: From Genghis Khan to Khubilai Khan』には、チンギス・カンが作り上げた独特な軍隊規則が記されています。それによると、モンゴル帝国時代、軍隊は大部分のモンゴル人の命と生活にかかわっていたといいます。医者、検死官、僧侶を除き、満14歳以上の男性は全員、軍に入隊しなければなりません。
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太祖チンギス・カンの娘であるアラカイ・ベキの生涯は生まれながらにして非凡な運命を辿ることになります。色鮮やかで豪華な花嫁衣装を身にまとい、オングト部の領地に足を踏み入れた時、アラカイのドラマチックな人生はまだ始まったばかりなのです。
遊牧民は皆、温厚で忠実ですが、同時に広い心を持っています。人材なら、たとえその人が敵側の人間でも高く評価します。
1995年12月、米紙「ワシントン・ポスト」は、「Man of the Millennium」に選ばれたのはチンギス・カンであることを報じました。その理由は、チンギス・カンはグローバル的な観察力で、ヨーロッパとアジアをつなぐ自由貿易圏を切り開いたことです。インターネットがまだない700年ほどの昔、チンギス・カンはすでにグローバル的な情報流通の道を開き、各国間の距離を縮めたのです。
当時、金軍や西夏軍はもともと火薬や大砲の製造方法を知りませんでした。宋王朝との戦争を通じて砲車や各種の石弓、燃料、狼牙棒など様々な軍用整備を鹵獲し、その後、製造し出しました。
後にモンゴルが西夏、金を攻める際、数多くの腕の優れた大工や職人を捉えました。チンギス・カンは、職人を殺さない主義であったため、モンゴル軍の武器や装備が発達し始めたのです。