虚構が作る歴史『ベルサイユのばら』と歪められた日本人の革命イメージ
第3回:バスティーユ襲撃の真実――革命の血塗られた幕開けと歴史の再考
漫画『ベルサイユのばら』の映画版は、昨年(2024年)の秋に公開された。原作の漫画は池田理代子氏によって描かれたものであり、「少女漫画」あるいは「恋愛小説」と呼ばれるジャンルに属している。本記事はこの映画、そして原作漫画について論じる全5回シリーズの第3回目の記事である。
この映画は、フランス革命の要として描かれる1789年7月14日のクライマックスで終わる。しかしながら、ここでもまた作者は、いまや真摯な研究を行う歴史家の誰一人として支持しない、共和国の公式見解をなぞるものでしかない。この日が歴史上特別に重要でなかったことはよく知られており、むしろ革命軍による虐殺の始まりの日であったことで広く知られている。
さらにここで、映画は厚顔無恥にも事実を捻じ曲げる。王党派の将校およびバスティーユの兵士たちが発砲し、激しく抗戦して多くの血が流れたかのように描写するが、それは虚偽である。実際には、バスティーユの指揮官は発砲を拒否し、崩壊寸前の要塞の門を開放したのである。だが、その結果として彼は槍の穂先によって首を刎ねられることとなった。
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