【紀元曙光】2020年12月9日

こんな夢を見た。六つになる子供を負ぶってる。たしかに自分の子である。(「夢十夜」第三夜)
▼調べて知ったが、今日は夏目漱石(1867~1916)の命日である。享年49歳。明治大正のころ、日本人男性の平均寿命は43歳というから、漱石が特に短命だったわけではない。ただ元来多病だったので、病没ということはできるだろう。その6年前の1910年、伊豆の修善寺で療養していた漱石は、胃潰瘍の悪化で大量吐血する。
▼生死の境をさまよう体験をした。この「修善寺の大患」は、漱石晩年の理想的境地である「則天去私」への伏線になったともいわれる。人の寿命に終わりがあるならば、その終点へ近づくにつれて小さな私(し)を去り、天に則して透明感が増す自己でありたい。漱石が臨終の床で何を思ったか知る由もないが、日本の知的財産である文学作品を多く遺したことは、濃密な生涯であったといってよい。
▼小欄の筆者も漱石が好きである。特に「夢十夜」第三夜が、ほどよく不気味で、印象深い。背中に負った盲目の「子供」と、その父親である「自分」。なぜか「子供」が会話を先導しながら、雨の降り続く暗闇の道を二人は進む。
▼「お父さん、その杉の根の処だったね」。「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。「文化五年辰年だろう」。なるほど文化五年辰年らしく思われた。「お前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」。(中略)背中の子が急に石地蔵のように重くなった。
▼人間は、万代もの輪廻転生のなかで多くの業(ごう)を重ねてきた。その自業からは逃れられない。