【佛家物語】修行の成就は師父のおかげ

釈迦牟尼佛がいた時代に、目犍連(もくけんれん)と呼ばれる釈迦牟尼佛の弟子がいました。目犍連の身に多くの神通力が現れたため、修行僧の間ではとくに有名でした。しかし、彼は神通力が現れたことを誇りに思わず、修行において現れた様々な神通力を、すべてその師父である釈迦牟尼佛のおかげとしました。

ある日、目犍連は「ある時期、私は霊鷲山の中で修煉しており、釈迦牟尼佛は当時、ラージャグリハの竹林精舎(迦蘭陀竹林)にいた。あの頃の私はあまり精進しておらず、私の内心の考えを知った釈迦牟尼佛は、1日に3度も神通力を使って、霊鷲山にやってきて、私の前に姿を現し、『安逸の心をそのままにしてはいけない』と説かれた」と他の修行僧に言いました。

そして、彼はまた、このように言いました。「佛の弟子である私は、佛の口から生まれた。つまり、佛が説かれる佛法の殻から生まれたのだ。そのため、佛法に加持され、知恵を授けられ、禅定することができ、解脱することができた。私が精進していない頃、佛の弟子であったため、師父は1日に3度も姿を現し、法を説かれ、私を導いてくださった。だから、今の私があるのだ」。

――正見ネットより転載
(翻訳編集・天野秀)