チンギス・カンーー1本の矢は折れるが、1束の矢は折れにくい(上)【千古英雄伝】
13世紀初期、ホラズム・シャー朝は中央アジアから西アジアまで広がる大帝国へと発展しました。1218年の春、チンギス・カンはホラズム・シャー朝と商業取引をしたいと考え、450人ほどの商人と数人の使者を相次いで派遣しました。しかし、その結果は良くなく、商人はほとんど殺害され、貨物もすべて没収され、交渉に行った使者のリーダーも殺されてしまったのです。これに激怒したチンギス・カンは大軍を集結し、西征に向けて準備を始めました。
王自ら軍を率いるので、万が一の事態になった時、帝国をまとめられる人が民を管理しなければなりません。王妃はこの懸念をチンギス・カンに伝えました。
王妃に言われるまで、自分も、兄弟たちも、大臣たちも誰もこの重大な問題に気づきませんでした。当時、チンギス・カンには4人の息子がいたので、まず長男のジョチの考えを聞こうとしました。
しかし、ジョチが口を開く前に、次男のチャガタイが、「ジョチの意見を先に聞くということは、父上はカンの座をジョチに継承させるということですか?こんなどこの馬の骨かわからない者に帝国を管理させてはいけません!」と真っ先に口を開きました。しかし、最後の言葉がジョチの逆鱗に触れ、2人はその場で喧嘩になりました。
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