チンギス・カンーー世界貿易の原型を築く(上)【千古英雄伝】
チンギス・カンの西征とともに、火薬、活版印刷、方位磁針などの東洋の技術も西洋へと伝わっていきました。
当時、金軍や西夏軍はもともと火薬や大砲の製造方法を知りませんでした。宋王朝との戦争を通じて砲車や各種の石弓、燃料、狼牙棒など様々な軍用整備を鹵獲し、その後、製造し出しました。
後にモンゴルが西夏、金を攻める際、数多くの腕の優れた大工や職人を捉えました。チンギス・カンは、職人を殺さない主義であったため、モンゴル軍の武器や装備が発達し始めたのです。
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1995年12月、米紙「ワシントン・ポスト」は、「Man of the Millennium」に選ばれたのはチンギス・カンであることを報じました。その理由は、チンギス・カンはグローバル的な観察力で、ヨーロッパとアジアをつなぐ自由貿易圏を切り開いたことです。インターネットがまだない700年ほどの昔、チンギス・カンはすでにグローバル的な情報流通の道を開き、各国間の距離を縮めたのです。