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世界の交差点・パナマで過ごす24時間――運河、旧市街、美食、そして夕暮れの街へ

この場所は、いくつかの観点から「世界の交差点」と呼べるでしょう。ここは北アメリカと南アメリカが交わる地点であり、また、世界の海運とサプライチェーンにおいて最も重要な接点の一つである、太平洋と大西洋を結ぶ有名な運河がある場所です。

海からパナマ市に近づくと、海岸沿いにそびえ立つ白く輝くガラス張りの高層ビル群が目に入り、まるで夢の中の都市のような印象を受けます。しかし、この街の真の魅力は、そのタワー群の足元にある、歴史と活気あふれる魅力的な地区にあります。パナマの首都を巡る24時間は、実に充実した時間となるでしょう。

(shutterstock)

到着

多くの旅行者は水路を通じてこの街にやって来ます。主要なクルーズ船の寄港地であるフエルテ・アマドール港がその玄関口です。しかし、パナマ市は航空交通のハブでもあります。国営航空会社「コパ航空」の本拠地であるトクメン国際空港は、この小さな中米の国と世界をつなぐ重要な拠点です。コパ航空は北米の多くの都市への直行便を運航しており、複数の航空会社がヨーロッパとの路線も展開しています。

この空港は元々アメリカ軍の空軍基地であり、パナマ市中心部から北東へ約24kmの場所にあります。公共バスを利用すれば非常に安価に移動でき(運賃が1ドル以下の場合もあります)、ただし所要時間は1時間以上かかることもあります。長旅で疲れていて予算に余裕がある場合は、公式のタクシーや配車アプリを利用すれば、およそ30分で中心部に到着できます。料金の目安は20~30ドル程度です。
 

午前中

旅の始まりは、この都市の起源からたどってみましょう。パナマ・ビエホ(旧パナマ市)では、その劇的な歴史を実際に歩きながら体験することができます。長旅の疲れを癒し、外の空気を吸って体を動かすには最適なスタートです。

1737年と1756年に火災の被害を受けたサント・ドミンゴ修道院の保存された遺跡。(Shutterstock)
パナマ市の歴史地区は、1673年に完成しました。これは、元々の都市が海賊によって襲撃され、ほぼ壊滅した2年後のことです。(Shutterstock)

現在、この地区はユネスコの世界遺産に登録されており、パナマ市はアメリカ大陸の太平洋岸における最初のヨーロッパ人による恒久的な定住地となりました。その始まりは1519年に遡ります。金や銀をスペインへ輸出する主要な港として発展し、「旧パナマ」と呼ばれるこの都市は、海賊たちにとって格好の標的となっていました。

1671年までに、パナマ市の人口は約1万人に達していましたが、悪名高いイギリス人私掠船(しかくせん)船長ヘンリー・モーガンが、カリブ海から密林を数日かけて進軍し、この街を壊滅させました。街は火災によって焼き尽くされましたが、誰が火をつけたのかは今も議論の的です。

現在では、こうした遺跡群は、パナマの現代的なスカイラインのすぐそばにある都市のオアシスとして存在しています。鳥のさえずりが響く中、保存状態の良い遺跡の間をゆっくりと歩き、最後にはかつての大聖堂の鐘楼に登って、パノラマの景色を楽しんでください。

街は1673年に、約8キロ離れた場所に再建され、現在のカスコ・ビエホ(旧市街)が誕生しました。ウーバーを利用して、次はこの旧市街へと向かいましょう。日中の暑さが本格化し、狭い路地が観光客で賑わう前に、この魅力的なエリアをゆっくり楽しむ絶好のタイミングです。

カスコ・ビエホは小さな半島の上に位置し、太平洋に三方を囲まれた格子状のレンガ舗装の通りが広がっています。散策にぴったりのエリアで、歴史的な建物には今も人々が暮らしており、路上の生活も活気に満ちています。

散策の途中には、フランス広場やマヨール広場にもぜひ立ち寄ってください。メトロポリタン大聖堂に入ってみたり、後ほど訪れる予定のパナマ運河について学べる運河博物館にも立ち寄ることをおすすめします。

パナマシティの歴史地区、カスコ・ビエホ地区にあるスペイン植民地時代の建築物と庭園。(Gettyimages)
パナマシティ、カスコ・アンティグオの活気あふれるソンブレロ通りは、色とりどりのパナマ帽で飾られている。(shutterstock)

午後

ここでランチの時間です。カスコ・ビエホには数多くのカフェ、バー、レストランがあります。なかでもおすすめは「フォンダ・ロ・ケ・アイ」。2023年の「ラテンアメリカのベストレストラン50」に選ばれたこのお店では、パナマの庶民料理を洗練されたスタイルで楽しむことができます。(ちなみにパナマでは「フォンダ」とは、気軽に立ち寄れる食堂のことです)

バーカウンターに座れば、オープンキッチンの様子を眺めることができますし、日陰の中庭でのんびりくつろぐのもおすすめです。セビーチェ(魚介のマリネ)やロブスターのグリルと豆ご飯は特に人気のメニューです。筆者の個人的なおすすめは、マッシュポテトが添えられたフライドチキン。家庭の味が感じられて、とても美味しいです。

たっぷりとランチをとってエネルギーを補給したら、午後の観光に備えましょう。まだまだ見どころが残っています――その中には、この国で最も有名な場所も含まれています。

パナマ運河の国際的重要性は、いくら強調してもしすぎることはありません。全長約82キロにわたるこの運河の建設は、困難を極めた大事業でした。この運河によって、船舶は南アメリカ最南端のホーン岬を回る危険な航路を避けられるようになり、航行距離を約8,000キロも短縮できます。

ミラフローレス閘門は、太平洋からパナマ運河に入る際に船が最初に遭遇する閘門です。(Shutterstock)
19世紀のパナマ運河計画を描いたヴィンテージの版画。運河の建設はアメリカ合衆国の監督下で行われ、1914年に完成した。(Getty Images)

19世紀にフランスが運河建設を試みましたが、1889年にプロジェクトは破綻。約2万2,000人が命を落としましたが、その多くは蚊が媒介する感染症(マラリアや黄熱病)によるものでした。1903年にアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領が計画を再始動し、アメリカは西部鉄道建設で培った技術や感染症対策の知見を活かして工事を推進。予算内で、かつ予定より早く完成させました。

当初は、スエズ運河のような平坦で直線的な構造を想定していましたが、地形の高低差により「閘門」の導入が必要となりました。これは巨大な水の部屋を使って、水位を調整し、最大約26メートルの高低差を越えて船を上下させる仕組みです。

この様子を見学できるのが、カスコ・ビエホから車で約30分(交通状況によって変動)にあるミラフローレス閘門です。ビジターセンターには博物館やIMAXシアターがあり、3D映画で運河の歴史を学ぶこともできますが、最大の見どころは屋外展望デッキです。

そこからは、運河の仕組みを実際に目の当たりにすることができます。自動車運搬船やタンカー、コンテナ船といった貨物船が、太平洋と大西洋を行き来する様子は圧巻です。特に見応えがあるのは、「ミュール」と呼ばれる小型機関車が船の横を走り、ロープで船を誘導する場面。鐘を鳴らしながらレールを走るミュールが、巨大な船体をまっすぐに保ち、閘門内を通過させるのです。

高層ビルが立ち並ぶ中心部とは対照的に、ミラフローレス閘門から車で約30分の距離にあるサン・フランシスコ地区は、美しい住宅街です。かつては家族連れが暮らす平屋のバンガローが並んでいましたが、住民の多くが高層マンションへと移り住んだことで、現在では個人商店やカフェが増え、にぎわいを見せています。

夕暮れ前に到着できれば、のんびりと散策するのにぴったりのエリアです。緑に囲まれた通りには、民芸品、チョコレート、チーズなどを扱う個性的なブティックが並んでいます。体力に余裕があれば、近くのオマール公園にある遊歩道を歩くのもおすすめです。

そして、旅の締めくくりにはディナーを。サン・フランシスコには魅力的なレストランが数多くありますが、「カサ・エスコンディーダ」は特におすすめです。スペイン語で「隠れ家」を意味するこのレストランは、まるで誰かの家に招かれたような温かい雰囲気に包まれています。元リビングルームだったダイニングスペースでは、心のこもった家庭料理を味わうことができます。

パナマシティのシンタ・コステラ高架橋の一部である歩行者用橋。(Shutterstock)
ラテンアメリカでは、ステーキピカドと一緒に揚げたグリーンプランテンバナナが一般的な料理です。(Shutterstock)

看板メニューは、「コディージョ・デ・セルド(豚のスネ肉)」のじっくり5時間煮込み。ボリューム満点のこの一皿は、一日の終わりにぴったりです。ゆったりと食事を楽しみ、飲み物を味わい、余韻にひたるひとときを過ごしましょう。地球の交差点であるパナマで過ごした、充実した一日の締めくくりにふさわしいご褒美です。

(翻訳編集 井田千景)

素晴らしいストーリーを求めて世界中を旅するトロント在住のライター。7大陸140カ国を訪れ、ボツワナでライオンを徒歩で追跡し、モンゴルで恐竜の骨を発掘し、サウスジョージア島で50万羽のペンギンの間を歩いた。CNNトラベル、ブルームバーグ、ザ・グローブ・アンド・メールなど、北米最大の出版物に寄稿。