≪医山夜話≫(27)

悲しい笑い

待合室から笑い声が聞こえて来ました……。

 その笑い声がとても大きくて力強かったので、声の持ち主に何か大きな喜びがあったのか、または面白い話でもしているのかと思いました。その「ハッハッハ」という声を聞くと、私も思わず顔に笑みが浮かびました。

 Aさんが診療室に入り、彼のカルテに目を通すと、治療希望の欄には意外にも「笑いを止められず、非常に苦痛」と書かれていました。

 Aさんは60歳の健康そうな男性。中柄で端正な顔立ちなのですが、とても憂鬱そうな表情をしており、彼の目を見て私も少し気分が暗くなりました。

 私が彼の名前を呼ぶのを聞いて、Aさんは大きな声で笑い、米国にいつ来たのかと聞くと、彼はまた「ハッハッハ」と笑いました。このような会話の中のどこに笑える要素があるのか、私にはさっぱり分かりませんでした。最後に、彼は私の真面目な眼差しを感じてやっと笑いを止めました。

 「楽しく笑えるのは良い事ではありませんか。どうしてそれを病気として治療をしようと思うのですか」と私は聞きました。

 「先生、よく笑うために私の顔の筋肉は痛み、笑うたびに、私は泣きたくて涙と鼻水を流し息も苦しくなるのです。実は、私の生活の中で、楽しく笑えることなど一つもありません」

 「この病気はいつ頃から発症したのですか」

 「それは、私が2歳半の時から始まりました。その当時、私はとても珍しい病気に罹り、病院でも病名を突き止めることができませんでした。まるまる21日間、私は毎日30分ごとに注射を受けていました。その時、両親は私に付き添っておらず、私はベッドに縛られて、『助けて、助けて』と叫んでいました。笑い声を出せば皆に注目され、誰かが私の面倒を見てくれると思い、私は大きな笑い声を出していました。21日間の後、全身に注射の跡が残っていた私はずっと笑っていました。本当は、悲しくて悲しくてしかたがありませんでした。それを知っているのは、私自身しかいません。世の中の全ての事は、泣いても笑っても変わる事がありません。時間が経つにつれ、私もそれに慣れて感覚が麻痺してしまいました。私は本当に笑いたいとか、笑いに値することがあって笑っているのではなくて、もし泣いたら人に軽蔑され冷たくされることを恐れて笑っているのだという事を、幼少時代から周りの人に理解されたかったのです」。話しながら、彼はまた我慢できずに「ハッハッハ」と笑いはじめました。

 彼の笑い声は「ハッハッ」の声から「ホッホッ」になり、また「へッへッ」に変わり、それを聞いて少し怖くなりました。

 「私は破産して、すべての貯金を失いました。笑い声は周りを不愉快にさせるので、私は家庭を持たず、独りぼっちで暮らしています。先生、これを病気と呼ぶべきではありませんか」

 どのように答えたら良いのか、私には分かりませんでした。

 笑うことで悲しくなる、いや、そればかりでなく気と心身を傷める病例に出会ったのは、初めてでした。彼に針治療を施した後、彼は来た時よりずいぶんと落ち着き、普通に会話が出来るようになりました。

 両親について聞くと、彼は涙を流しました。「7歳の時、私の目の前で両親は、拳銃で互いの頭を打ちました。相談した上での覚悟の自殺でした。最初、両親は遊びをしていると思って、私はそばにいて『ハッハッ』と大笑いしました。両親は倒れ、血の海の中で私の叫びに何も返事をせず、これはゲームではなく本当なのだと始めて知りました。それからというもの、私の笑い声はずっと災いと関わるようになりました。絶望の時、避けられない局面に出遭った時、私は力を入れて笑います。これは子供のころから身につけた『能力』です」

 彼は、診療所を出る前に、待合室にいる生後2ヶ月の赤ん坊を抱えた若い女性を見かけました。その女性は、今日はベビーシッターが見つからなくて、仕方がなく赤ん坊を診療所に連れて来たのだと申し訳なさそうに私に説明しました。彼は目を輝かせて、「赤ちゃんの面倒は、私がみます。私には時間があります。この子を抱いて、そこのソファーに座って待ちましょう」と言いました。「あら、それは良かった。この子には、お腹いっぱい食べさせているし、オムツも交換したのでしばらく寝ると思います」とその若い母親は喜びました。彼女は私の診療所に来る患者はみな、信頼できると思っているようでした。

 とても慎重に赤ちゃんを自分の腕に抱いていたAさんに、「では、しばらくこの子を幼少時代のあなた自身だと思ってください」と私は言いました。

 彼は感激して目に涙を浮かべ、「分かります、私にはその意味が良く分かります!」と頷きました。

 若い母親は安心して診療室に入っていったのですが、彼の「ハッハッ」という笑い声が熟睡中の赤ちゃんを驚かせるのではないかと心配して、私はソファーのそばに数分間立って様子を見ました。このひと時に、彼の本性の中の優しさが戻り、幼少時代の母親に抱かれた感じが再び彼の傷ついた心に蘇るように、私は期待していました。世間に汚されていない赤ん坊とのふれあいで、彼の幼少時代の傷が治愈できるように望んでいました。

 「先生、私にこの機会を下さって、ありがとうございます。今のこのひと時は私の傷を治療するためにとても大切なのです」と、彼は私に言いました。

 私はそれにうなずいてから、そっと診療室に入りました。

 一時間後、若い母親がご機嫌な赤ん坊を抱いた時、彼は嬉しそうに、「来週、またここに来ます。お母さんは私の後に並んでください。赤ん坊の面倒は私が見ます。心配することは何もありません」と言いました。若い母親は「それは、とても良いアイデアですね!」と微笑んだ。

 診療所を出て行くその親子を、彼は最後まで見送っていました。この一時間余りの間、彼が一度も笑っていないことに私はふと気づきました。
 

(翻訳編集・陳櫻華)