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モンゴル草原を照らす「鏡」ーートルイ

トルイは、モンゴル語では「鏡」という意味で、あの大草原を統一し、広大なモンゴル帝国を築き上げたチンギス・カンの四男です。彼の生涯は戦功赫々としていて、智勇兼備の名将として知られ、その勇猛さと忠義は代々モンゴル草原で謳われ続けています。

幼いトルイ君の「予言」

史書によると、幼いトルイが言葉を話せるようになったある日、チンギス・カンは征戦の最中にタイチウト氏族に捉えられてしまいます。

チンギス・カンの家族と母ホエルンは非常に心配して、救助などを企てようと忙しない中、緊迫した状況をまだ理解できない幼いトルイは、よろよろとしながら祖母ホエルンに近づき、その膝に抱きついて、「父上は栗色の馬に乗って帰ってくる」(出典『新元史』:「拖雷独曰:‘我父乘栗色马归矣。」)と言いました。まだ幼いのに慰めてくれているトルイを見て、ホエルンは心が温かくなりました。しかし、誰もトルイの言葉を真に受けていません。

翌日、チンギス・カンは栗色の馬を猛スピードで走らせながら帰ってきたのです。幼いトルイの「予言」が実現されたことに誰もが驚きました。

自分を犠牲にし、兄を守る

トルイはよく父親についていき、戦場に赴きました。その勇猛果敢の戦いっぷりに将軍たちでさえも驚いて感心します。

『元朝秘史』の記載によると、紀元1231年、チンギス・カンの後を継いでモンゴルの帝王になったオゴデイは金朝征服の戦いの最中に重病を患います。これを聞いたトルイはオゴデイが患った病の原因を探り当てました。中原(中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと)を征伐してきたことで、多くの人の死を作り、そのため、災いが降りかかってきたと分かったのです。

その時、トルイはオゴデイにこう伝えました。

「モンゴル帝国にとって、兄上(オゴデイ)はなくてはいならない存在です。私は父上の遺言を守り、兄上の目となり、刀となり、この帝国を守ります。しかし、兄上がいなれば、私は誰の目となり、刀となるというのでしょう。まして、今は金朝征服の真っ最中、兄上がいないと、事態が混乱し、モンゴル帝国の民は国を失う恐れもあります。私はモンゴル帝国の親王(嫡出の皇子や最高位の皇族男子)であるから、兄上の身代わりになる資格は十分にあるでしょう。私の身体をもって亡霊たちの怒りを鎮めましょう」

そして、トルイはシャーマンの手から、オゴデイの身体を清めた汚水を取り、一気に飲み干しました。徐々に亡霊による恨みがトルイの身体に移り替わり、一代の名将はその忠実の誓いを抱いたまま永遠の眠りにつきました。その時、すでに他界したチンギス・カンはペガサスに乗り、遥か遠い空の上からやってきて、トルイの身体を抱えると、光の中へと消えていったのです。

トルイはチンギス・カンの遺言をしっかり守り、権力に目をくらませることなく、全力でオゴデイを補佐し帝国を守りました。大局と大義をしっかり理解したトルイは分かっていたのです。勇猛な鷹を失ったモンゴル草原はきっと、貪欲な輩たちに分割され、モンゴルの民は戦火に苦しむことになることを。

トルイにとって、王座よりもさらに大事で有意義なことがあるのです。兄の身代わりとなって死んだことには、兄への敬愛と忠実の義、そして、父への孝が含まれています。権力の誘惑を断り、混乱する局面を避け、責任と忠義を貫くことを、その生涯をもって後世に教え、歴史に残し、そして、その名「トルイ(鏡)」のようにモンゴル草原を照らしています。

(翻訳編集 天野秀)

 

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