がん治療が徐々に「精密医療」の時代へと進む中でも、多くの患者さんは医師にこう尋ねます。「私には、ほかに使える薬はありますか?」これまで、その答えは、がんがどの臓器に発生したかによってほぼ決まっていました。肺がんなら肺がん、胃がんなら胃がん、肝がんや胆管がんにも、それぞれ決まった治療の流れがあったのです。しかし、この10年ほどで、こうした従来の考え方を大きく変える新しい医療の枠組みが登場しました。それが、Pan-Tumor(がん種横断)治療です。
「どこにできたか」から「何が間違っているか」へ
がん種横断治療の目的は、「どんながんにも効く万能薬」を作ることではありません。治療の焦点を、がんが発生した臓器の場所から、がんそのものの本質へと移すことにあります。特定の薬が使えるかどうかは、腫瘍がどこから来たかではなく、「治療可能な分子レベルの弱点」を持っているかどうかで判断されるのです。
その弱点を見つけ出すために、最も重要な方法が、新世代シーケンサー(NGS)を用いた遺伝子検査です。がん種横断治療の時代において、患者さんが精密医療を受けられるかどうかは、特定の遺伝子変化が検出されるかどうかにかかっています。
アメリカの著名な精密医療研究者であるニコラス・J・ショークは、2025年に科学誌『Nature』に発表した論文の中で、「精密医療における最大の課題は、薬が不足していることではなく、誰が本当にその恩恵を受けられるのかを見極めることが難しい点にある」と指摘しています。
この言葉は、まさに本質を突いています。問題は薬が足りないことではなく、検査が行われないことで、患者自身が「治療の対象になり得るかどうか」を知らないままになっている点なのです。
遺伝子検査とは何か なぜ、がん種横断治療の出発点なのか
がんの遺伝子検査は、多くの人が想像するような「生まれ持った体質を調べる検査」や、「将来がんになるかどうかを予測する検査」ではありません。
一般にがんの遺伝子検査とは、新世代シーケンサー(NGS)を用いて、がん細胞の中で起きている遺伝子の変化を解析することを指します。この検査によって、がんがどのような異常によって制御不能に陥っているのか、たとえばDNA修復機能が破綻していないか、成長シグナルが「常にオン」の状態になっていないか、特定のたんぱく質が異常に発現していないか、といった点を詳しく知ることができます。
こうした分子レベルの異常こそが、がんの「弱点」です。そして、その弱点は、遺伝子検査を行ってはじめて見つけ出すことが可能になります。
検査の方法自体はそれほど複雑ではありません。多くの場合、手術や生検で採取した組織を用いますが、場合によっては血液を1本採るだけで済む「リキッドバイオプシー(液体生検)」が用いられることもあります。患者さんにとって身体的な負担は少ない一方で、その結果が治療の選択肢を大きく左右する可能性を秘めているのです。
がん種横断治療の普及を妨げているのは薬ではない
がん種横断治療は先進的な治療法に見えますが、現実には、本来治療の対象となり得る多くの患者さんが、検査を受けていないために、自分に治療のチャンスがあることすら知らないままになっています。
複数の大規模研究によると、新世代シーケンサー(NGS)による遺伝子検査を受けるべきがん患者さんのうち、実際に検査を受けている割合はわずか3~4割にとどまっています。その背景には、保険適用の問題、費用への不安、分子検査に対する知識不足、あるいは「調べるほど怖くなる」という心理的な抵抗感など、さまざまな要因があります。
しかし、結果は非常に明確です。検査を受けなければ、患者さんは有効である可能性のある治療から、最初から除外されてしまうのです。
成功した治療は、すべて検査から始まっている
がん種横断治療の価値は、国際的な一流学術誌によって繰り返し証明されています。2020年に『Journal of Clinical Oncology』に掲載された KEYNOTE-158 第II相試験では、大腸がん以外で、高度マイクロサテライト不安定性またはミスマッチ修復欠損(MSI-H/dMMR)を有する進行固形がん患者さんを対象に、PD-1免疫療法の有効性が評価されました。その結果、腫瘍が高度マイクロサテライト不安定性(MSI-H)を持っていれば、発生部位が胃、胆管、卵巣、子宮内膜、小腸のいずれであっても、免疫療法の恩恵を受けられる可能性があることが示されました。
高度マイクロサテライト不安定性とは、がん細胞のDNA修復機構が深刻に破綻している状態を意味し、腫瘍に特有の「治療標的となる弱点」です。この治療は、遺伝子検査によってMSI-Hが確認されたことを根拠として、アメリカ食品医薬品局から史上初の「がん種横断承認」を受けました。
また、2020年に『The Lancet』に掲載された FIGHT-202 試験では、ガッサン・K・アブ=アルファ氏が主導し、FGFR2遺伝子融合を有する胆管がん患者さんが、新しい分子標的治療から大きな効果を得られることが示されました。検査が行われなければ、これらの患者さんは特定されることすらありません。
さらに、2018年に『New England Journal of Medicine』に発表された代表的ながん種横断研究では、MSKがんセンター の早期創薬部門責任者である アレクサンダー・ドリロン氏が、NTRK遺伝子融合を有する腫瘍は、神経系、軟部組織、消化管など発生部位を問わず、特定の経口分子標的薬に対して75%を超える高い奏効率を示すことを明らかにしました。
これらの事実からはっきり言えることがあります。すべてのがん種横断治療の成功例は、患者さんが特定の遺伝子特性を「検査によって見つけ出された」ことから始まっているという点です。
液体生検の精度向上、AI解析の普及、そして検査コストの低下により、遺伝子検査は今後数年で、がん患者さんにとって標準的な検査となっていくでしょう。治療可能な遺伝子変異を探すことは、将来的には血液検査と同じくらい一般的になるはずです。がんがどこにできるかを選ぶことはできませんが、その本質を知るかどうかは選ぶことができます。がん種横断治療の時代において、この一歩が人生そのものを変える可能性があります。
遺伝子検査を始めるには
がん種横断治療の価値はすでに確立されていますが、多くの患者さんは、「検査」をどのように「治療のチャンス」へとつなげればよいのか分からずにいます。がん種横断の時代において、遺伝子検査はもはや選択肢ではなく、治療の出発点です。以下のステップを参考に、主体的に精密医療の機会をつかみましょう。
- 相談とコミュニケーション:まずは主治医と相談し、ご自身のがんが「包括的遺伝子パネル検査(CGP)」を受ける価値の高いタイプに該当するかどうかを確認し、がん種横断治療の選択肢があるかを尋ねてください。
- 検体の選択:最適な検査方法について医師に確認しましょう。通常は、手術や生検で採取された組織検体を用いたNGS検査が優先されますが、組織が不足している場合や取得が難しい場合には、血液を用いる液体生検が補助的、または代替手段として検討されます。
- 保険・費用の確認:NGS検査は高額になることがあるため、医療機関や保険会社に、保険や公的医療制度の給付対象となるかを必ず確認してください。費用面を明確にすることは、治療への障壁を避けるための重要なステップです。
- 結果と治療方針の検討:遺伝子検査の結果には、複数の遺伝子変異が含まれることがあります。その中で、どの変異が「治療可能な変異」に該当するのかを医師とともに確認し、精密治療や臨床試験への参加を含めた今後の治療戦略を検討していきましょう。
本記事は、Daiichi Sankyo, Inc. の患者教育基金の助成を受けて作成されています。
(翻訳編集 華山律)
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