カアンの側近く仕えるケシク(『集史』:パブリックドメイン)

チンギス・カンーーケシク制度【千古英雄伝】

人はよく内心世界を王国に例えます。王国には護衛の軍隊が必須です。外界からの侵入と誘惑に直面して、心の中の王国を守るには精鋭な兵士ーー精兵たちの防衛が必要不可欠です。

精兵と言えば、歴史の中で戦いに長けたモンゴル兵、特にケシク(モンゴル帝国において君主・皇族を昼夜護衛した親衛隊)が挙げられます。1206年、モンゴル草原を統一したテムジンは、各部落に「チンギス・カン」と尊称されました。内憂外患に対処するため、チンギス・カン自ら貴族や勲功をたてた将官たちの子弟を選んで、親衛隊ーーケシクを設立しました。

ケシクは弓の名手から成っており、全員精鋭中の精鋭で、馬術にも優れ、長短2種類の射程の弓を常に装備し、長距離移動も問題ありません。ケシク軍の弩(石弓)は300メートル範囲内の敵の重装甲を貫くことができます。

ケシクの隊員の多くは貴族ですが、安逸、怠惰という言葉からかけ離れています。暴風雨や大嵐の中を行き来し、骨に刺さる寒風や猛烈な日差しの下で君主のテントを死守します。

モンゴル人は生まれながらにして人情が厚く、普段は非常に温厚です。宴会やお祝い事では、豪快に酒を飲み、歌を歌って、存分に楽しみます。しかし、外敵と戦う時は、勇猛果敢に、己の命を顧みずに刀を振り回し、前進していきます。そして、夜は目を光らせて微かな動きをも見逃しません。ケシクの隊員はモンゴル人の豪快な天性を備えながらも、忠勇に振舞います。

現代社会では、昔のような命をかけた戦いはかなり減少し、筆やペンを持った「兵士」たちが増加しています。チンギス・カンのケシク軍が持っていた弩は射程300メートルと、当時では多くの国に恐れられていましたが、現在、科学が発展したこのインターネット社会では、筆やペンを持った「兵士」たちの力を遥か地球の反対側へと及ぼすことができます。

大分複雑になったこの人間社会、山のように積み上げられた圧力下で生存していくには、私たちもケシクのような精鋭部隊を心に配備する必要があります。目に見えない罠や誘惑に負けぬよう、常に警醒し、予想外の「襲撃」から身を、心を守らなければなりません。

(翻訳編集 天野秀)

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