進化論―ひとつの誤った信仰

2005年10月27日 07時31分

 【大紀元日本10月27日】1859年、ダーウィンは進化論の学説を公開した。ダーウィンの考えでは、生物は神によって創造されたものではなく、長い年月を経て単純なものから複雑に進化してきた存在であると主張した。

 厳密に言えば、ダーウィンの進化論は一つの仮説に過ぎない。当時、ダーウィンは将来確実な証拠が、発見されることを期待して進化論を公開したが、検証に値する証拠は未だ一つも発見されていない。進化論は事実と大きなギャップが存在する上に、理論の論拠も曖昧で、結論づけることができない。けれども、ダーウィン以降の学者たちは、進化論を一種の科学的な信仰として継承し、真理として学術界や一般に紹介した。そのため、速やかに、この新奇な仮説は広まり、付和雷同する人々によって真理と見なされてきた。
 

アマチュアの化石専門家・ウィリアム・J・メスター氏は1968年、アメリカのユタ州で6億年前から2億年前までに生息していた三葉虫の上を踏んだ足跡の化石を見つけた。(Henry Johnson提供)


 しかし、言うまでもなく、科学に対して慎重な学者も居る。多くの人に受け入れられたからといって、仮説が真理に変わることはない。真理であるためには、厳密な推論と議論の余地のない証拠を必要とする。けれども、進化論に欠けているのは、まさしくこの二つである。

 

 

足跡の部分を拡大すると、左上にある三葉虫の形跡が見える(Creation Evidence Museum)


 私は長年に亘り進化論研究に夢中になった、感情的にも進化論の尊厳を強く守ろうとしてきたが、多くの相反する事実に直面して、慎重な思考を通し、進化論の誤りを無視することができなくなった。ここに勇気をもって、一般にあまり知られていない事実を公にして、進化論者が大衆に代わって、真理と考え、他の領域の科学者を代弁して真理だと断定したこの百年来の局面を変えることを願い、事実と厳密なる推論を一般に公開し、理性ある思考の機会を提供したいと思う。

 一、暴露した問題が隠された

 1880年、アメリカのカリフォル二ア州にあるタイボ山の麓で、多くの精巧な石器工具が出土した。専門家の鑑定では、5500万年前の遺跡であることが確認された。この事実は、進化論の人類進化説を完全にくつがえした。

 しかし驚くべきことに、この重大な発見は、まもなく人々に「忘れ去られてしまった」のである。既に既成事実となった理論の真偽が問題になったとき、人々は、常に自分が信じてきたことを疑うことさえもせず、たとえ、それが事実であっても、否定、又は無視するのである。

 1966年、メキシコのホヤリックで幾つかの鉄槍が出土した。アメリカの地質学者マッキン・テーア博士が、二つの方法で鉄槍が作られた年代を鑑定したところ、二つの方法のいずれにも、一致した結果が得られた。「出土した鉄槍は、今から25万年前のものと判明した」のである。しかし、進化論に相反するこの結果は科学界に受け入れられず、あるヨーロッパの学者が圧力に屈して、鉄槍の作られた年代を人々が受け入れられるように書き換えた。その後、当時すでに国際的知名度の高かったマッキン・テーア教授は、関係領域における仕事の機会を全て失った。

 今は亡くなった考古学者アメンダも同じ羽目に遭遇した。メキシコのプレラーワ城で、ある先史時代の動物の額骨を発見した彼は、額骨の中に入っていた一つの鉄槍の先端を鑑定したところ、これは26万年前の武器であることが分かった。しかし、この驚くべき発見は、幾つかの雑誌に公開された後、権威者たちの批判を招いたために、アメンダの仕事と人生は抹殺された。

 常に慣習を守り、経験から事実を否定するこのようなケースは、まだまだたくさんある。これらの事例の中に、少数の権威者が大衆の思考を奪い取り、権威によって作られた科学世論が先入の思惟の枠となっている。真実を知る機会のない大衆は、権威者の主張を無条件に受け入れることしかできず、科学はすでに信仰の一つに変質してしまった。

 時間の流れにつれて、曝け出された進化論の問題も増えつづけている。一部の進化論学者たちが事実に基づいて、進化論に対し疑問を投げかけ始めた。勿論、この反論は経験による批判を招いた。しかし、事実の前に、理論の困惑が真理を追究し続ける人々を引き付けている。

 二、進化論の三大証拠の破滅

 進化論は主に三つの経典的証拠・比較解剖学、古生物学、胚胎発育再演律を有している。しかし、近年の研究によって、その証拠は次々と崩れてしまった。

 まず、比較解剖学が進化論の論理的錯誤を暴露した。

 深く追求すると、進化論の証拠は証拠にならない。比較解剖学を用いて進化論を論証することは、喩えて言うならば、「もし、人間がサルから進化してきたとすれば、人間はサルと近似した特徴が多いはずだ。人間はサルと多くの類似点があるので、人間はサルから進化してきたのだ」となる。この理論の展開はまったく意味をなさず、ここで用いた循環論証が進化論を貫いている。理論的な証拠は論理に反する場合、科学上成立しないはずだが、人々が互いに盲従して進化論を受け入れ、進化論の論理的錯誤を追究しなかった。

 次に、胚胎発育再演律は、論理の上に立脚せず、観察の錯誤であるとしか言えない

 19世紀、ドイツのヘーゲルが再演律学説を提出し、高等生物の胚胎発育過程に種の進化過程が再び現れると論じた。胚胎発育再演律は、実は一種の仮説であるにもかかわらず、進化論の重要な証拠となっている。「進化ということがもし存在すれば、胚発育の『再演現象』は、まさしく進化の過程を反映している。再演現象が存在しているので、進化ということも存在している」 というように、この論拠は再び循環論拠の罠に陥っている。

 さらに、最も重要なのは、再演現象と進化の間の元々不明な関係を因果関係に強要したことだ。実は、再演律は生物学がまだ十分に発展していない時に提出された仮説であるため、遺伝学と分子生物学の発展につれて、特に遺伝子研究が進歩している現在、再演律はすでにその理論的根拠を失っている。もし過去の遺伝子が新たな遺伝子に突然変異したとすれば、どうして過去の特徴を再現するのか? 再演律そのものについて、古生物学者ゴールドもその致命的なポイントを指摘した。これは広く知られた事実である。更に多くの学者が、再演律は、ある観察錯誤であることを証明した。ドイツの人類胚胎学者ブライホ・シュミットが『人間の生命の始まり』という本の中に、詳細な資料を用いて、人間の胎児は、最初から人間の構造をしていると証明した。例えば、以前認識された早期の胎児に現れる魚のような「鰓裂」は、実は胎児の顔の皺である。また、胎児が9mm程度に発育した際にあらわれる、身体の下部に突き出たものは、以前は尻尾と認識されたが、実は中空の神経管である。発育の速いこの神経管は、抵抗力の少ない方向に生長するため、一時的に末端の方に突き出るが、しばらくすると、またなだらかに戻る。この神経管は重要な役割を果たし、残存器官ではない。

 身体に毛の覆いがあったり、尻尾のある子どもなどの奇形病に対して、進化論は人類祖先の特徴と見なしている。このことから推論すれば、大脳のない奇形病は更に多いため、我々の祖先は大脳がないと結論づけていいのか? 進化論の思想の枠を飛び出してみれば、所謂「先祖返り現象」は、ただの奇形や欠陥に過ぎず、遺伝子の異変を反映しているだけである。無理やり我々の祖先と結びつけるのは、とても理にかなわないことだ。

 最後に、古生物上、進化論の確実な証拠となる進化中の移行タイプは、未だに発見されていない。

 もし進化という現象が存在するなら、進化の過程途中の種と種の間の移行タイプが必ず存在するはずである。そうでなければ、進化論は一種の謬論と言える。それ故、理論上、移行タイプ種の化石の発見が進化論の重大な証拠の一つになるはずだ。しかし、実際この面での確実な証拠は、存在していない。当時、ダーウィンなどの進化論者は、20世紀になると明確な証拠が探し出せるだろうと推測した上で、進化論を産み出した。つまり、曖昧な推測を証拠とした。実際、今までに出土した数え切れないほどの多くの化石の中に、推敲と鑑定に耐えうる証拠は一つもない。

 サルから人類までの進化の過程で、移行種である「類人猿」を探す課題は、昔から科学の「十大(重大では?)懸案」であった。何度も、これが人類の祖先だという発見は、その後、早々と年月を待たずに否定された。例えば1892年に発見された人間と猿の移行種であるといわれた「カボ人」の化石は、ある猿の頭骸骨と40フィート離れたところにあった人間の足骨を集めたものである。しかし学術界は既に「カボ人」を否定した後でさえ、教育界までこれを事実として宣伝している。1984年に「カボ人」は「ルーシー」にとって代わられたが、後になって、「ルーシー」も大部分の学者に否定された。「ルーシー」は、実は人間と全く関わりがない一種の絶滅した猿である。

 鳥類と爬虫類動物の間にある移行種と思われた六つの「始祖鳥化石」の発見は、世界を驚かせたが、五つの化石は、鑑定後、人工的なものであることが分かり、残り一つは持ち主が如何なる鑑定をも堅く拒んだ。最初の「発見者」は、捏造の理由を「進化論をあまりに信じ込んでいたので、進化論を証明するために、最も説得力のある証拠を作った」と告白した。しかし、教科書の中にある「ルーシー」と「始祖鳥」の記載の誤りは未だに訂正されず、大衆は真実を知らされないままである。

 もし進化の現象が実在であるとすれば、移行類型の化石は容易に見つかるはずだ。どうして見つからなかったのか? 学者たちは、ダーウィンの解釈を用いて「化石記録は不完全だ」と、この疑問に答えた。しかし、よく考えてみれば、化石の形成は普遍的で、不規則であり、どうして移行類型化石だけが漏れてしまったのか?『ダーウィンを裁判する』という本の著者は、次のように結論を出した。「化石が我々に示したのは全て突然現れたある種の有機体であり、漸進進化を表す痕跡はまったく見当たらない……これらの有機体が一旦現れると、基本的に変化の模様を示さず、何百万年が経っても、気候と環境が如何に変化しても、もはや変化しない。しかし、もしダーウィンの理論が成立すれば、これらの条件は元来種の巨大変化を起こすべきである」 古生物学者ゴールド及びエードリッチが、地質上の歴史の事実に基づいて、「中断均衡」という仮説を出して、移行類型化石の形成率は、より少ないと説明した。しかし、そのことは移行類型物種化石の形成が全く不可能であることを意味しない。更に、この仮説の進化機制は遺伝子のレベルからみて、絶対あり得ないことだ。

 三、現代進化論の理論上にある、致命的な錯誤

 ある理論が正確であれば、その真理性は色々な角度から全て証明できるはずである。更に、それぞれの側面からの証明も互いに補足できる。相対論への証明や遺伝子のDNA分子への証明は、まさしくそうである。

 しかし、進化論の場合は全く逆の状態が見られた。各々の学説がお互い大きく分岐し、対立している。古生物学者ゴールドは一つの例を挙げて、その原因を次のように説明した。

 「バーリントンは1890年に行われた研究の中で 『黒人は低級である。なぜなら彼らが幼年的特徴を保持しているからだ』と指摘した。 ボルクは1926年の研究の中で『黒人は低級である。なぜなら彼らの発育の特徴は、白人の幼年的特徴を超えたからだ』と指摘した。なぜ、一つの観点で二つの矛盾する論拠が導かれるのか? それは、事実に基づいて科学的な結論に達するのではなく、ある先入的信仰を証明するための根拠を探しているからである。彼らに現れたのは、まさしく進化論の問題である」

 一般論として、もしある理論に根本的な内的矛盾があり、既に検証された定理と矛盾すれば、この理論の存在は許されないだろう。次の幾つかの問題点は十分に進化論の真実性を否定できる。

 1. 確率で計算すれば、生物進化の可能性は、ほぼ完全に不可能だ

 ダーウィン時代の想像力を超え、現代の進化理論は、遺伝子レベルから進化を解釈している。遺伝子に根本的変化が発生しなければ、一切の表面的な変化は進化には関係ない。つまり、進化は遺伝子の変化に基礎を置くべきで、現代の進化論は、遺伝子の突然変異説を用いて進化の原因を説明しているが、数学の公式や模型が広く生物学領域に応用されている今日、進化論者が公式を用いて、遺伝子の突然変異によって進化を実現させる確率を計算したことは一度もない。なぜなら、合理的な公式であれば、どれも進化を否定するはずだ。

 多くの学者が、確率から現代進化論の錯誤を証明した。M.J.べーヒが『ダーウィンのブラックボックス( Darwin’s Black Box )』という本の中で、生命の複雑さと精密さから進化の可能性を否定した。ここで、ある簡単な公式を用いて突然変異の確率から新たな種の発生率を計算してみよう。

 P =(M · C · L · B · S)N

 ある種の個体に突然変異が起こり(発生率は10-3)、変異が発生した後の遺伝子は、他の遺伝子が異なった階層で他者と結びつき(概算した発生率10-2)、生存競争後その個体が生き残り、繁殖の機会もあり(10-1)、異変がちょうど縦断的進化を示し(この情況はまだ発見されていない、発生率10-3と概算する)、異変遺伝子がその種の群の中で安定して成長し (発生率10-2と概算)、新たな種を形成するための遺伝子を10個と仮定する。 

 以上の条件を前提とした場合、新たな種が進化する確率は、

 P=(10e-3 × 10e-2 × 10e-1 × 10e-3 × 10e-2 )10 = 10e-110

 つまり、一年10代を繁殖、種群の個体数を1000個とすれば、このような進化の時間は少なくとも10106年を要する。現在科学界が認識した1070の宇宙基本粒子、200億の宇宙年齢で計算すれば、新たな種が進化する時間は、宇宙年齢の二乗の10億次であり、進化はほぼ不可能だと言える。

 2. 品種の変化と、新たな種の発生とは異なる

 ダーウィンは、ある種におきた内部変化をあらゆる生物種の進化に拡大した。喩えて言えば、犬の場合、多くの品種を育種できるので、猿も人間に進化できるということになる。この推論そのものに大きな問題がある。多くの実践の結果がダーウィンのこの推測を否定している。育種専門家がみているように、種の変化範囲は非常に限定されている。育種された品種は、繁殖能力がなかったり、元の品種に戻ったりするのである。

 進化の速度について、現代進化論の理論も事実と矛盾している。縦断的、全体的にみれば、生物は、低レベルから高レベルまで、遺伝子突然変異の発生速度が遅ければ遅いほど、 変異個体の自然生存率が低ければ低いほど、進化の速度は遅くなるはずだ。しかし、進化論領域では、次のことが公認されている「歴史上、地質を縦断的にみれば、新たな種の出現速度は速くなり続けており、加速的進化トレンドが現れている」 また「進化時間表」は、多くの反面事例を隠したが、化石が周期性の異変歴史を証明している。

 「生物進化時間表」は、限られた化石の資料を用いて、進化理論を証明するために編成されたものであり、多くの誤りがある。例えば、鳥類の出現時間は、偽造の始祖鳥に基づいて推測された。後になると、多くの化石が出土するにつれて、進化論と相異なる大量の事例が現れ続けている。しかしこれらの発見は、進化論に照らして理解されないため、抑えられてしまった。

 古生物学のあらゆる発見を時間順に並べて見れば、得られた結果は十分に進化論を否定できる。考古学者クレーモ及びトムソンの著作『考古学の禁止地区』の中で、500以上の進化理論に相背する確実な事例が挙げられている。全ては何万、何十万、何百万、何千万、更に何億万年以前の人類の文明遺跡である。

 考古学者ドルエトが、フランスのある石灰岩石層の中から、幾つかの異なった型の金属パイプを発見した。岩石層の年齢は6500万年だった。アメリカのテキサス州のある岩石層の中から、恐竜の足跡の化石の傍で12個の人間の足跡が発見された。同じ岩石層の中に人間の手指の化石と一つの鉄鎚も発見された。鉄鎚のハンドルは既に炭化しており、96.6%の鉄,0.74%の硫(?), 2.6%のCLが含まれている。これは現代にいたるまで未だに造ることの出来ない合金の一種である。

 もっと遡って、最も古いのは、28億年前の精巧な金属玉や、今よりも進んだ構造の20億年前の大型原子炉である。大型原子炉は多くの学者によって、宇宙人の遺跡だと推定されたが、2万年前の古代神殿は間違いなく地球人の建築物であろう。にもかかわらず、神殿に反映された天文学知識や冶金技術は、現代人のレベルを超えている。一方、発見された25万年前の鉄製武器が良く発展していなかった文明の様相を展示した。98年度のアメリカの雑誌『Science』が公表した一連の考古学上の発見物の中に、一万五千年前と二万三千年前の人間の姿、三万年前の象牙に彫刻された馬、九万年前の内曲がりの鉄槍が載っている。周知のように、我々人類の文明は蒙昧の状態から今日の輝きまで五千年しか経っていない。悠久の歴史を刻むこれらの古跡は、異なった時期の文明を代表しているのではないか? これらの例はまだ数え切れないほどたくさんある。そのような事実が我々にあることを知らせている。「人類の文明も、ある規則―『誕生、発展、壊滅』に従っているのではないだろうか?」

 進化論の枠を飛び出して見れば、化石は実際に進化理論の反証になることが分かる。化石は普通の条件下で形成されることはなく、強大な圧力の下で徐々に出来上がるものである。このような特殊な条件は、大異変だけによって提供されるものである。つまり、化石は災難の目撃者であり、地層中の化石の研究は正しく人々にこのメッセージを伝えている。「種の発展は短時間に広大な地域に突然現れ、発展と繁栄を経て、大壊滅に至る。残った種と、新しい種が再び発展、繁栄、壊滅…を繰り返すという循環である」

 地球上において、このような周期的な災難と異変を証明する根拠は多い。シベリアの凍土の中に、多くの凍った哺乳動物の遺骸が発見された。そのうち、完全な遺骸もあり、樹に挟まって砕けた遺骸もあった。遺骸の胃袋を検査したところ、食べたばかりのまだ消化されていなかった草さえ入っていた。つまり、動物たちの遺骸がこの事実を語っている。それは、「当時、そこは温暖なプレーリーであったが、ほんの短い時間に壊滅的な災難が発生した」ということである。これについて、チャールズ ハップグッドは「短時間内に大陸プレートが何千マイルの距離を移動し、シベリアを現在の位置まで持ってきた」と考えた。 勿論、これは他の大異変を起こさせた原因でも考えられる。

 チャールズ ハップグッド教授は、1532年にオロンテウス フィナウスが史料に照らして描いた世界地図を発見した。この地図に表記されている氷層の下にある南極と、現代、測定した南極氷層の下の地層を比べたところ、両者は驚くほど類似している。更にコンスタンチノーブルでは、ピリ ルイスが史料を総合して1513年に描いたアフリカと南アメリカの海岸地図と南極地図が発見された。地図の精度は0.5経度までに至り、人類が初めて海上で位置確定ができたときより250年も早かった。明らかにそれは前期の人類文明の遺跡であり、当時、南極はまだ氷雪に覆われていなかったのだ。

 3、人類は過去を忘れた

 ここまできて、誰が進化論の信仰を維持しようとするのか? 実は、今日多くの理性ある科学者が、進化論は証明できない信仰であることを既に認めた。しかし、進化論に取って代わる理論が現れて来なければ、現在のまま進化論を維持するしかなく、自分の名誉を傷つけられてしまう危険に陥るのだ。多くの科学者は、進化論研究に何十年も努めたが、研究が進めば進むほど、進化論の誤りを発見した。その中で、ニュートンとアインシュタインのように、最終的に悟りに至り、宗教の中から答えを探そうとした科学者も少なくない。更に、ニュージーランドの遺伝学者ミッシェルデントンが彼の『危機が現れた理論・進化論』の著作の中で「ダーウィンの進化論は二十世紀最大の嘘だ」と、進化論をはっきり否定した。

 進化論は生物学を完全に間違った方向へ導いただけではなく、心理学、倫理学及び哲学など多くの領域、更に厳しく言えば人類文明の発展を間違った方向へ導いた。

 進化論が人類文明にもたらした潜在的な災難は大きい。

 1).人々に宗教や道徳的善悪観を詐欺と認識させ、精神的なよりどころや道徳的制約を破壊する;

 2).弱肉強食、適者が生き残るような選択論、競争の中であらゆる手段を利用して自己を発展させることなどを人々に教える;

 3).反伝統、反正統的な変異は更なる進化、更なる良い結果をもたらすと人々を信じさせようとする;

 4).人間は動物の後裔であり、人間の本性は動物本能に由来すると人々を信じさせる。欲望は人間の最も本質的な本性であり、それは進化によって得られた最も良い本性であると西洋の心理学は更に考える。それはほかでもなく、科学上、物質主義の横溢や倫理の堕落に対する制限を解き放った。

 このような宣伝は既に社会のあらゆる側面に満ち、現代社会の全てに浸透し、潜在的に人類の道徳の堕落を促進させた。

 人間は自己を進化させることに専念し、自己を放任して発展させる一方、激しい競争と不安の中に生き続けるために、更に利己的になってしまう。私的な欲望が満足されないとき、各種の不道徳な行為と犯罪が続々と登場して来た。互いに理解と信頼を失い、社会に安心感がなくなってしまった。一時的な享受と栄耀は、「道徳の堕落、心理の歪み、利欲の貪り、生活水準の両極化、怪病の氾濫、際限のない競争、社会の歪んだ発展、資源の滅失、環境の汚染、戦争の苦しみ」等、呼び戻せないこれらのことと、取り替えてしまった。

 4.進化論という迷信を取り除き、進化論に隠された真実の歴史に直面すべき

 無数の輝かしい文明が消失した現在、残るのは僅かな遺跡だけである。我々の記憶の中に残ったのは、アトランティス文明が海底に没したというプラトン時代の伝説しかない。エジプトのピラミッド、ボリビアのティアワナコ古城、ペルーのサクサイワマン城郭などの巨石傑作にみられる、天文、建築、冶金などのあらゆる技術は、我々の現代文明を超えたある文明を代表している。彼らが残した遠い時代の伝説や世界各地の伝説は、文明の壊滅原因について、どうして驚くほど一致しているのか? 今日の我々は古人の啓示を忘れ、進化論を論拠にして、古人は愚かだと断定した。

 一冊の『転法輪』によって、進化論への信念と進化論と矛盾する多くの事実との間で迷っていた私は、硬直した思惟の枠から飛び出し、進化論の錯誤に気づき、上記の認識に至った。

 

 

 

 

(作者=曹 凱・中国科学院発育生物研究所博士)

 

 

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