歌の手帳
歌の手帳
つつめどもかくれぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり
夏草やつはものどもが夢のあと
書き終えて切手を貼ればたちまちに返事を待って時流れだす
行きなやむ牛の歩みに立つちりの風さへあつき夏の小車
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ
風は清し月はさやけしいざともに踊りあかさむ老いの名残に
夕されば物思まさる見し人の言問ふ姿面影にして
うき我をさびしがらせよ閑古鳥
夏山の夕下風の涼しさに楢の木陰のたたま憂きかな
わぎもこが汗にそぼつる寝より髪夏の昼間はうとしやと思ふ
防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思もせず
古井戸や蚊に飛ぶ魚の音くらし
有間山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月影
葛飾の真間の手児名がありしかば真間の磯辺に波もとどろに
筒井筒井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
掬ぶよりはや歯にひびく泉かな
夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ
かたつむりそろそろ登れ富士の山
蓮葉のにごりに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく
また見ることもない山が遠ざかる
よられつる野もせの草のかげろひて涼しくくもる夕立の空
信濃なる千曲の川の細石も君し踏みてば玉と拾はむ
あぢさゐや雨音だけの坐禅堂
海ならず湛へる水の底までに清き心は月ぞ照らさん
夏麻引く海上潟の沖つ洲に船はとどめむさ夜ふけにけり
音もせで思ひに燃ゆる螢こそ鳴く虫よりもあはれなりけれ
夕顔の白く夜の後架に紙燭とりて
垂乳根の母が釣りたる青蚊帳を清しと寝つたるみたれども