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中山陵の一角(写真:ネットより)

南京を都とした政権の短命機微

 【大紀元日本9月19日】

 中国の歴史上において、かつて六代の王朝が南京を都とした。211年、呉の孫権が石頭山金陵邑に石頭城を築き、229年にここを都に開設し、周囲11キロの都を「建業」と名付けた。それで、南京の歴史が始まった。それ以降、東晋、宋、斉、梁、陳が相次いで南京を都にし、史書では「六朝」という。

 南京城は、西北には揚子江、東には紫金山、西には清涼山、北には玄武湖、南には雨花台から囲まれ、地勢はきわめて険要である。

 昔、蜀の諸葛亮は、揚子江を下り南京城を遠望して「鐘山は流のごとくわだかまり、石頭城虎のごとくうずくまり、ここは帝王の地なり」と歎じたという。しかし、風水的に恵まれていると思われる南京だが、ここを都とした六朝はいずれも短命であった。明初も南京を都にしたが、一世の50年あまりで終焉し、太平天国はわずか9年であった。

 それで、楚王が金を埋めて王気を鎮めたため南京の風水が消え、また始皇帝が地の脈を断ち切ったため南京の龍気が断たれた、という伝説が伝えられている。

 春秋戦国時代、南京は呉王の領地であったが、後に越王に占領された。その後、楚王は越王を追い出し、獅子山に駐屯していた。ある時、楚王は自分の領地を視察するため、獅子山に登った。雄大で素晴らしい景色を見て、楚王は喜んでいたが、すぐ顔色が変わり、「ここは風景は素晴らしいが、しかし王気があまりにも強い」と口にした。それで、祈祷師を招き、獅子山の上に黄金を多量に埋め、ここの王気を鎮めさせたという。

 一般的に地上の建築物を宮と呼ばれ、地下の建築物を陵と呼ばれる。黄金を埋めた場所なので、ここは「金陵」と呼ばれるようになった。

 いま一つの伝説がある。始皇帝が南京の地脈を断ち切りその龍気を絶ったという。紀元前210年、始皇帝は金陵を巡遊した。始皇帝は虎が蹲り、龍が蟠るその気勢にすっかり引かれたが、しかし伴った方士らは心配しそうに始皇帝に献言した。「金陵は地形が険要で、気勢が盛んである。ここは龍脈の地勢であり、王気がきわめて強い。したがって、何らかの対策をとらないと、五百年後には天子がここから誕生する」。

 これを聞いて、始皇帝はたいへん驚いた。自分は始皇帝で、自分の子孫も永遠に天下を統一する皇帝でなければならならず、他人が皇帝になるのを許すわけにはいかないと考えた。それで、方士にその対策を尋ねた。方士は遠い山を指差しつつ「方山は頂上が平らで、まるで官印のようなので、天印山と呼ばれる。天印と言えば、神様が賜る官印のことなので、それで金陵の王気と運命を決めたのである。もし、方山の龍脈を断ったら、金陵の王気を隔てることになり、さらに淮水を引いて金陵を貫いて揚子江に流させたら、王気がことごとく流されてしまうであろう」と献言した。

 それで、始皇帝は命令を出し、金陵を「秼陵」(秼とは馬飼育の牧場)と改名し、獅子山と馬鞍山の山脈を切断し、方山を断ち切ったうえ、淮水を引いて南京を貫かせたのである。

 これらは、いずれも南京にまつわる伝説でしかない。しかし、南京の地理および南京を都にした政権がいずれも短命であった事実に即してみれば、この伝説はどうやら一理がありそうである。

(翻訳編集・小林)


 (09/09/19 05:00)  





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