中国の墨の由来

2007/06/16 12:07
 【大紀元日本6月16日】古代中国で、まだ墨のなかった時代には、文字を書いたり絵を描いたりするのはとても不便だった。周宣王の時代に邢夷という人がおり、絵を描くことに優れていた。ある日、彼は手が汚れてしまったので、近くの小川まで手を洗いに行った。その時、傍に何か真っ黒なものが落ちているのを見つけ、拾い上げたところ、ただの松炭だったので捨てた。そして、ふと自分の手を見ると、思わずぷっと吹き出してしまった。たった今洗ったばかりの手が洗う前よりもっと黒くなっていたからだ。彼は、松炭が手を黒く染められるのなら、これを使って文字や絵が描けるに違いないと思い、その炭をまた拾って家へ持ち帰った。

 家に帰った邢夷は、この炭をすぐ粉にして、水を加えてみたが、どうしてもまとまらない。あれこれ考えてみたが、どうにもいい方法が思いつかなかった。食事の用意ができたと夫人にいくら呼ばれても出ていかなかったので、夫人がわざわざ彼の所へ食事を運んできた。その日の食事はもち米粥だった。彼はあれこれ考え半ばぼーっとしており、両手で松炭の粉をすくい、全部粥の中に入れてしまった。すると、お椀の中はたちまち真っ黒な半固形状の物に変わった。

 それを見た邢夷は、大喜びでお椀の中のものをかき混ぜた。その時、彼は夫人の袖口の一部が真っ黒になっているのに気がつき、「なぜそこがそんなに黒いのか」と尋ねると、夫人は袖を見て「あら、これは今かまどで食事を作っているときについてしまった鍋のすすだわ」と言って、手ではたいて落とそうとしたが、どうやってもその汚れはとれなかった。それを見た邢夷はまた喜んで言った。「今度はうまくいくはずだ。鍋のすすは拾ってきた松炭よりもさらに黒く細かい。これを使えば申し分なく字が書けるだろう」。

 そこで、邢夷は、鍋のすすを集めて、水を加えてかき混ぜ、少し箸に付けて壁に試し書きしてみた。これが中国最初の墨汁だ。ただ、これは字を書くのには便利だが、持ち歩くのに不便だったので、さらにもち米粥と松炭を加えてよくかき混ぜ、こねた後に長方形に成形し日に干して乾かした。できあがったものは、使うときに少し水を加えて磨るだけで、すぐに文字や絵が描けるようになった。

 邢夷は初め、この長方形の墨を「黒土」と名付けたが、あまり適当でないと思い、この「黒土」の二文字を上下に合わせて「墨」という一つの文字にした。歴史上これを「邢夷墨」と呼んでおり、これが中国初の墨だ。墨が生まれたこの経緯は、『述古書法纂』にも次のように記載されている。「邢夷が初めて墨を作る。文字は「黒土」からなる。すすから作られたもので、土の類である」。

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