THE EPOCH TIMES

1強にこだわる習近平、胡錦涛の二の舞を危惧か

2018年03月07日 14時00分

 中国第13期全国人民代表大会(全人代、国会に相当)の第1回会議が5日に行われた。会議中、国家主席・副主席の任期撤廃を含む憲法改正案の草案が公表された。全人代の幹部は国家主席らの任期撤廃が、習近平氏を核心とする党中央の権威と統一的指導を維持するのに有利だと強調した。

 また、全人代代表に対して行われた同草案の経緯についての説明では、昨年の党大会開催直前の9月29日、習近平氏が出席した中央政治局会議で憲法改正を決定したと明かされた。

 今回の改憲案が通過すれば、1982年に制定した現行憲法、いわゆる「八二憲法」に対する5回目の改正になる。

 中国の国家主席は象徴元首

 中国共産党政権は1954年9月20日、第1期全人代第1回会議で初の憲法を公布した。当時、中国国家主席については「任期4年」との記述にとどまり、任期制限について言及しなかった。また、この全人代会議で、共産党政権初の国家主席に毛沢東が選ばれた。

 1959年まで、毛沢東は、党主席・党中央軍事委員会主席・国家主席の3つのポストを務め、最高権力に君臨した。同年4月党内ナンバー2の劉少奇が国家主席になった。

 劉は1968年に亡くなるまで約9年間国家主席を務めていた。党内では一定の実権を握る劉に対して、毛沢東が権力闘争を仕掛けた。劉少奇は文化大革命で1966年から長らく拘禁され暴行を受け、68年に亡くなった。それ以降、国家主席の職が長い間、空いたままだった。

 毛沢東は1970年国家主席・副主席の撤廃を提案したが、党内から強く反発を受けた。しかし、75年の憲法改正では、国家主席・副主席の職が正式に撤廃された。

 文化大革命が終了した1982年、党最高実力者になった鄧小平の主導で改憲が行われ、国家主席・副主席のポストを復活させた。しかし、鄧小平は毛沢東らの経験から、国家主席の任期制限を設け、国家主席について実権を持たない象徴元首と定義した。鄧小平は当時、国家主席でもなければ党総書記でもない。死去まで影の最高指導者として影響力を発揮していた。

 時事評論員の石濤氏は、毛沢東の国家主席・副主席の撤廃と鄧小平の国家主席の任期制限について、「毛氏も鄧氏も、自らの独裁政治を行うためだった」と指摘した。

 石氏は、今回の国家主席・副主席任期撤廃の改憲案が通過すれば、1954年の初の憲法内容に戻ることになるとした。

 「九龍治水」という集団指導制度

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