【大紀元日本8月20日】私たちは子供の頃から、父のある物語を知っていた。父は中学生の頃、“菊花”という女の子を好きだった。ある日、校舎が倒れ、“菊花”がその下敷きになった。父は学校の先生やクラスメートたちの前で、死ぬ前の“菊花”に、「大好きだ」と何回も叫んだ。当時は、男女の間は非常に保守的だったので、この「早い恋」で、父は学校から退学させられ、村の人々から笑いものにされていた。
当時の父のクラスメートだった私たちの母は、父のその勇気ある行動に感動し、数年後に、父と結婚した。
しかし、この父の物語は、ずっと街の人達の間で語り継がれ、私たち兄弟も、その物笑いの種となってしまった。恥をかかされた私たちは、子供の頃から父のことがずっと嫌いだった。私は早くその街を出たい一心で、一生懸命に勉強し、そして都会のある大学に入学した。
またこの物語は、母もよく口にしていた。家で父と喧嘩をすると、母はいつも「あなたが好きなのは、私じゃない、“菊花”だよね」と言っていた。すると父は恥ずかしがり、母の気が晴れるまで黙って家事を一生懸命やっていた。また父との仲がよい時にも、母は「“菊花”のことは今でも思っているの?彼女のどこかいいの?」と父をからかったりしていた。その時も、父は黙り込むしかなかった。
去年、母の60歳の誕生日祝いに、私は何年かぶりに実家に戻った。家族での食事中に、10歳になる姉の息子が突然父に聞いた。「おじいちゃんが子供の頃、好きだった人はおばあちゃんじゃなくて、他の人だったの?それは本当なの?」 この話に家族は皆びっくりした。この恥かしい物語は孫にまで語り継がれていたのである。
この話になるといつも黙っていた父は、酒を一口飲んで口を開いた。「本当のことを言うと、当時の俺は“菊花”を好きじゃなかった。当時は『文化大革命』の時期で、大学教授だった“菊花”の両親は『現行反革命者』という罪で逮捕されていた。親の罪で、彼女はクラスの皆に仲間外れにされていた。班長の俺は、先生の指示で仕方なく彼女の隣に座ることになった。ある日彼女は、彼女の家にあったある本を俺に見せた。その本には、『人の一生で最も不幸なことは、“子供の時に親と離れること”、“青春期に恋がないこと”、“晩年に子供がいないこと”にある』と書かれていた。そして“菊花”は、まさにこれらの不幸が自分に近づいていると、俺に告げた。その日、激しい雨でクラスの壁が倒れ、彼女は重傷を負った。息が弱まっていく彼女に、学校の皆はどうしたらよいかわからなかった。俺は突然、見せてくれた本と彼女の話が頭に浮かんで、そして思わず、彼女に『大好きだ』と叫んだ。実際のところ、世話する人がいないためか、彼女の体はいつも匂っていて、当時の俺は別に彼女のことが好きじゃなかった。『大好きだ』と叫んだのは、可哀想な彼女を少しでも慰めてあげたかったからだ。」
父の話に、家族は呆然とした。40数年間も語られていた父の物語の真相に皆はずっと黙っていた。
(明心ネットより)
[中国語版又は英語版]:http://xinsheng.net/xs/articles/gb/2005/8/9/33550.htm
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