中国少数民族研究会、都内で講演「脱北者の定着支援問題」

2007年07月20日 00時12分
 【大紀元日本7月20日】中国少数民族研究会(会長:殿岡昭郎氏)による講演が8日午後、都内麹町の食料会館内で行われ、同基金会機関紙「中国少数民族研究」の編集長・三浦小太郎氏とその協調者であるキム・キジュ氏(48)が、脱北者の帰国後における定着支援の問題について講演した。

 三浦氏はまず、6月26日に北京の北朝鮮大使館で行われた石川一二三(ひふみ)さんの奇怪な記者会見について言及し、「彼女は、母親が日本人、父親が在日朝鮮人であるが、日本国籍を有した日本人だ。11歳のときに北に渡った」とその背景を説明した。
三浦編集長



 三浦氏によると、石川さんには兄がおり、その兄がまず日本に来て定着しようとしたが、まともに就職できず、日本社会から冷遇され、結局は生活保護を受けて、北に仕送りもできなくなったという。しかし、この兄は何とか金繰りをつけ、約三年前に中朝国境に渡り、朝鮮族ブローカーに頼んで、北朝鮮領内から一二三さんを連れ出し、瀋陽の日本領事館に保護させたという。

 一二三さんは、日本に来た当初、経済力の豊かな日本で一生懸命働いて、北に送金しようと意気込んではいたが、頼みの綱である兄がまず生活保護を受けている現状であり、自身もまともに就職できなかった。千葉県の公営住宅を与えてもらったものの、やはり生活保護だけの収入だけでは、北に送金できずに悩んでいたという。

 一二三さんは、貧しかったために小学校すらまともに出ておらず、日本語の会話はできたが、漢字が全く読めず、一時期は飲み屋に勤めに出ようとしたが、「レモン・サワー」「焼酎」「烏龍茶」などが読めずに苦労していたという。

 一二三さんは、北に息子たちを置いてきた負い目もあって、平壌から国際電話が掛かって来ると、息子の周囲に労働党の監視があっても、コレクトコールが高額であっても、出ざるを得なかったという。当時、一二三さんは生活保護を受けており、国際電話の支払いに1-3万円を費やすなど生活は苦しかったが、「自分は日本人だ」という意識が強く、他の脱北者とは打ち解けず孤独であったという。

 そのような状況の中、北から「息子さんが公安に捕まり、保釈に日本円で15万円が必要だ」との知らせをうけて一時的にパニックになったが、三浦氏は「当局にハメラレたフシがある」と指摘。次いで、今年三月に息子の一人が事故で亡くなったとの知らせを受け、一時的な思考停止状態となり、続いて北の親族からは、「とにかく帰ってきて欲しい」と告げられ、帰国に心が傾いていったのだという。

 三浦氏によると、日本に帰国した脱北者約100人のうちで、まともに就職したのは約五割程度。韓国では約1万人が入韓したが、ハナウォンという定着支援施設で約半年間の職業訓練を受けて、運転免許を取り、定着支援金を200万円程度受けても、なおかつ六割程度の人がまともに就職できでいない。

 日本で脱北者の定着支援をしているキム氏によると、韓国で定着支援金をまとまった形で受けた脱北者は、先着した脱北者に「北に残した家族を連れてきてやるから」と持ちかけられ、大金を騙し取られ、生活も安定せずに職を転々とするという。キム氏は、「共産主義体制下で40-50年近く過ごすと、いきなり資本主義経済の韓国に来ても適応に無理がある」と指摘した。

 とはいえ、脱北者にとって、韓国は日本より遥かに生活し易いという。韓国は同一民族であり、また親戚が南にいる場合には、彼らが借金までして支援してくれるからだ。キム氏によると、南北が統一した時に「橋渡し役」として働かなくてはいけないのは、脱北者であるが、韓国社会が彼らを大事にしていないのを見ると「一抹の危機感を感じる」と警鐘を鳴らした。

 聴衆の一人から「韓国社会の一つの不満として、脱北者は韓国社会の周囲からよくされても感謝の言葉を言わない、というものがあるが、どうしてか?」の質問に対してキム氏は、「北の共産主義社会では、持てる人が持てない人に与えるのは当たり前。ある意味では人間的とも言えるが、しかし南の人にも北の人間に偏見があるのも事実だ」と述べた。これに対し三浦氏は、「北の人間にとって、金持ちは悪であり、貧乏な人がこれを受け取るのは正義なんだというフシがある。ちょうど、北と南では価値観が逆だ」と指摘した。

 また「どうして脱北者は、豆満江や鴨緑江を越えて、陸路で中国を目指すのか。どうして清津などの港から、船で釜山など南の海岸線を目指さないのか」との質問に、キム氏は「夜は、民間人は海岸線に近寄れないし、昼間港で働く人たちは、生活に申し分のない脱北する危険性の少ない人たちだ。また、いざ船で外洋に出ようとしても燃料がない。この前、日本にたどり着いた脱北者は、運がよかったとしかいいようがない…」と海路の難しさを指摘した。

 日本での脱北者は、新大久保などの在日朝鮮人が経営している焼肉屋、比較的日本語での会話が少ない警備会社、またはサウナなどで働いているが、就職前に「北の人間です」と明かすと、就職が難しくなるのが日本社会の実情だという。キム氏は「私は、1977年、18歳の時に日本の相撲部屋に入門した。当時は、日本語が分からずに緊張の連続だったが、女将さんを始め、北は北海道から南は九州まで、周囲の日本人から暖かい恩を受けた。中朝国境で日本人妻の脱北者を見たとき、この恩を返そうと思った」とそもそもの協調活動の動機を述べた。

(文責 大紀元編集部)
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