「息子は謎の死、嫁は重度の身体障害者に」、中国人老夫婦が語る一家の悲劇

2012/09/20
更新: 2012/09/20

息子夫婦の写真を無念に見つめる沈銓さん(明慧ネット)

【大紀元日本9月20日】 「次男との対面を楽しみにしていた。しかし、最後の最後に、警察から、息子は1年前に死亡したと告げられた」。80歳過ぎの在米中国人の沈銓さんはこう話し始めた。「息子は亡くなり、息子の嫁には12年の懲役刑。しかも、嫁のお腹の8カ月の胎児は強制流産させられた」

沈銓さんは悲しみを抑えながら、取材記者に中国当局の迫害を受けた一家の悲劇を明かした。

沈銓さんの次男として生まれた沈立之さんは大学卒業後、自動車会社のエンジニアや、大学で英語講師を務めていたエリートだった。

1998年、病気に苦しむ沈銓さんは健康改善のため、当時中国で大人気の法輪功を習い始めた。ほぼ同時期に、沈立之さんも修煉を始めた。

法輪功の学習者の人数が1億人に達したと伝えられる中、翌年の1999年、当時の江沢民主席は政権への脅威として、ほかの指導部メンバーの反対を押し切り、法輪功への弾圧をはじめた。一家の悪夢はここから始まった。

大勢の学習者と同様、沈立之さんも北京に向かい、指導部に法輪功の無実を陳情し、弾圧の中止を請願し続けていた。そのとき、成都市在住の学習者・羅芳さんと出会い、後に2人は結婚した。

2002年旧正月、夫婦は外出したまま行方がわからなくなった。沈銓さんは不吉な予感を覚えた。「恐らく警察に秘密裏に逮捕されたのでしょう。息子夫婦はどこに監禁されているのか、どういう罪を犯したのか、まったく何の情報もなかったのです」と話す。

しばらくして、妊娠していた羅芳さんは一旦釈放されたが、同年12月再び逮捕された。しかし、次男の行方は依然としてわからない。沈銓さんは弾圧を率いる秘密警察機関「610オフィス」に息子の所在を尋ね続けた。

「毎日待っていた。やっと見つけたという知らせがきた」

2003年3月3日、息子に会うため指定された場所を訪れた老夫婦。しかし、警察官の言葉に、二人は凍りついた。「彼は1年前に死亡した。これは病院の証明書だ」。目の前に突き出されたのは息子の骨壷だった。

公安当局が交付した次男の死亡通知書(大紀元)

「妻はその場で意識を失った」と沈銓さんは当時の状況を振り返った、「病院の死亡通知書の日時は2002年3月23日、死亡原因は『全身衰弱、肝機能停止』。しかし、私は当局のこの説明を信じていない。だが、だれも本当のことを教えてくれない」

悲劇はこれで終わったわけではない。

獄中の息子嫁には、12年間の懲役刑が言い渡された。お腹の妊娠8カ月の胎児も警察に強制流産させられた。また、不明な薬物を注射されたため、下半身が麻痺してしまい、自力で立つこともできなくなった。

「それでも、彼女は『真・善・忍』という法輪功の信仰を放棄しようとしなかった。当局が用意した修煉放棄の誓約書に署名しないため、重度の身体障害者となった彼女はいまだに様々な虐待を受けている」と沈銓さんは語った。

家族との面会も厳しく制限され、2009年までの7年間、わずか3回しか会えなかったという。当局側の説明は、「法輪功の信仰を放棄しないからだ」というものだった。

「羅芳さんの家族は彼女を一目みようと、頻繁に刑務所の外から覗いている。たまに、小さなイスに支えながら地面を這い動く彼女の姿を確認できるという」

次男が亡くなり、嫁は監禁されたまま。心身の苦しみに耐え切れなくなった高齢の沈銓さん夫婦は後に、米国ニュージャージ州在住の長男の元に渡った。

(翻訳編集・叶子)
関連特集: