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ブット後継19歳長男に、混迷のパキスタンに民主の真空埋める

 【大紀元日本1月2日】ベナジール・ブット氏は並はずれた人物だった。
警察に向かって反政府のプラカードを掲げる女性=2008年1月1日、パキスタン・イスラマバードで(Paula Bronstein/Getty Images)
亡くなってもその影響力は続いている。

 日曜日(12月30日)、パキスタンのナウデロで、ブッ氏の19歳の息子、ビラワルがその後継者に選ばれたと発表された。ビラワルはパキスタン人民党(PPP)の新総裁に指名された。父親のアシフ・アリ・ザルダリ氏は副総裁を務める。

 ザルダリ氏は、ビラワルがオックスフォード大学で学業を終えるまでPPPを取り仕切ることになる。

 12月27日のブット氏の暗殺の影響で、全国で暴動が突発し、感情的になった暴徒が巷にあふれ、多くの車両が燃やされた。パキスタン人は喪に服し、暗殺の衝撃で涙と怒りが全国を席巻した。

 PPPは、国民感情に配慮し、その真空状態を埋めるべく速やかに行動した。3代目ブット氏は、象徴的なものだが、その任務を託されたのである。

 ザルダリはブット氏の第二次内閣で投資大臣を務めていた時、賄賂の疑惑でかつて「ミスター10パーセント」とあだ名された。汚職疑惑で8年間獄中で過ごした。

 ブット氏は、これらの疑惑はねつ造されたもので、首相としてのリーダーシップを喪失させ、夫の信用を損なわせることで、軍事体制の腐敗を覆い隠そうとしたものであると常々主張していた。

 ブット氏自身1990年代の首相時代に汚職疑惑をかけられたが、告訴は昨年10月に取り下げられた。

 ザルダリ氏は今や、カリスマ的な、象徴的な妻を失い、実力で進退を決めることになり、息子のビラワルが表舞台に出るまでPPPをいかにして率いるかが問われている。

 夫と息子は民主主義を救えるか

 ブット氏の息子と夫がPPPを引き継ぐことで
パキスタン人民党の新総裁に選ばれたビラワル・ブット・ザルダリ氏(右)とその父アシフ・アリ・ザルダリ氏(左)=ナウデロの記者会見で(Aamir Qureshi/AFP/Getty Images)
パキスタンの民主主義は契機を迎えた。

 PPPは一週間足らずで選挙に直面することになると言われているが、1月8日に予定されている選挙が行われる可能性はいまだに不確定な部分を残している。PPPや、ナワズ・シャリフのパキスタン・ムスリム連盟などの政党は、できるだけ早期の自由かつ公正な選挙が行われることに専心している。

 しかしながら、民主的な選挙を求めることに熱心でないペルベス・ムシャラフ大統領政権は、それを阻止しようとしている。

 ブット氏の暗殺は未解決

 一方、ブット氏の暗殺に関しては、多くの憶測があり、根強い不信感が目立つ

 パキスタン内務省スポークスマン、ジャベド・ジャベル・チーマ氏は、先週の記者会見で暗殺の状況説明でまた別の公式発表を行ったことで、あからさまなブーイングを浴びた。公式発表は、暗殺の報道が世界中に流れてから、毎日変わっている。

 暗殺は、アルカイダの自爆テロとされている。謎の男はサングラスをかけ、至近距離から発砲、手榴弾が投げ込まれ、ブット元首相は車のサンルーフについているレバーに頭を打ち付け、頭部に外傷を受けた。

 ブット氏の支持者は、パキスタンの穏健派の声を代表し、暗殺がアルカイダの組織的な攻撃だとする政府の主張に疑問を抱いている。

 パキスタンの伝説のクリケット選手で、民主派野党のテリート・インサフの創立者であるイムラン・カーン氏は、シドニー・モーニング・ヘラルド紙で最近、「実際、パキスタンで人が殺されるとしたら、アルカイダのせいにできる」と述べた。

 テロのターゲットになるブット家

 ブット家で、暴力で殺され、
亡命から帰国し、支援者に手を振るパキスタン元首相ベナジル・ブット氏(中央)=2007年11月、イスラマバード国際空港で(Aamir Qureshi/AFP/Getty Images)
不慮の死を遂げたのは3人目である。

 ベナジル・ブット氏の父親、ズルフィガル・アリ・ブット元首相は、1979年に軍事独裁者ジア将軍により絞首刑にされ、ベナジルの二人の兄弟は異常な状況で亡くなった。ブット家がパキスタンの民主主義のために支払った代償は大きい。

 兄弟の場合と同じように、ペナジル・ブット氏の死は、軍事勢力の報復と謎を思わせる暗雲を招いた。そのシナリオと登場人物の配役は、まさにパキスタン政治の複雑さと多様性を示している。

 ベナジル・ブット氏の暗殺を単独グループの別個の仕業と考えるのはあまりにも短絡的だろう。その瞬間のビデオは世界中の治安部門で調査されている。

 1月8日の選挙にはベナジル・ブット氏が勝利したであろうという見方がある。イスラム社会で初の女性首相として、多くの敵がいたのである。

 ムシャラフ大統領が国家のためにベナジル・ブット氏と連帯する気があると考えて、彼女は昨年10月にパキスタンに帰国した。

 しかし、帰国後まもなく、
ブット元首相を狙った爆弾テロ現場で助けを求める男性=2007年10月、カラチで(Carl De Souza/AFP/Getty Images)
ブット氏の命を狙った爆弾テロが起きた。ブット氏は生き延びたが、居合わせた群衆150人以上が亡くなったにもかかわらず、政府は調査をほとんどしなかった。PPPの関係者は「異常である」と思ったという。

 ベナジル・ブット氏は故国に帰ることが重大なリスクであるとわかっていた。報道によると、安全性を心配して、「首相にふさわしい」レベルの安全対策を要求していたという。

 ムシャラフ政権の対応は「口先だけ」で、パキスタンの多くの人々やPPPの関係者などは信用していない。安全性の問題については、政治的なねらいから最小限にしたと考えられている。

 3ヶ月前、CNNのウオルフ・ブリッツアー氏とのインタビューで、ベナジル・ブット氏は過去に経験したテロ攻撃や将来起こりうるテロについて語った。アルカイダについては、アルカイダが民主主義を望まず、自身の帰国を望まず、女性が国の政治を取り仕切ることなどできないと思っているなどについて説明した。

 「わたしは、民主主義のため、平和のため、希望のため、貧しく、悲惨な状況で、絶望している人々のために立ち上がる」とブット氏は語った。

 しかし、ブット氏はその大義を捨てず、自らの亡命の終焉を運命的なものと考えていた。ブット氏は「取らなければならないもの(リスク)なら、進んで取る」として、帰国がいかに危険なものであるかを語った。

 暗殺:独裁者の常套手段

 ブット氏の人生は、1980年代初期の傑出したフィリピン上院議員ベニグノ・アキノ氏によく似ている。アキノ氏は人民野党のリーダーであり、当時の独裁政権フフェルナンド・マルコス大統領に対して反体制意見を代表していた。

 1983年秋、アキノ氏はマルコス政権の対抗馬として選挙に出馬するために長年の国外追放から帰国した。民主主義の理想に全力を注ぐことでアキノ氏は命を失った。フィリピンの土を踏んだ後、空港で暗殺されたのである。

 1983年のBBCの報道によると、飛行機から離れる直前、「身の危険はあると思っている。なぜなら暗殺というのは公務の一部みたいなものだからだ。死はいつか訪れる。凶弾に倒れるのがわたしの宿命なら、それもしょうがない」と予言的に話していたという。

 アキノ氏の暗殺で、マルコス大統領に対する国際世論が強まり、1986年の人民党のEDSA革命に火をつけた。最終的に、アキノ氏の妻コラソン・アキノ氏が急きょ後継者になり、アジアで初の女性首相になったのである。

 同様に、ベナジル・ブット氏の命とその影響は続くのである。ブット氏は祖国のために身を捧げたが、その夫と息子にライフワークを完遂するよう委ねられたのである。

 
(文:アンネ・ピルスベリー、翻訳:月川)

 (08/01/03 06:12)  





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