THE EPOCH TIMES

【党文化の解体】第1章(4)  「伝統文化を否定する」

2008年03月31日 01時00分

3.伝統文化を否定する

 ≪序≫で述べたように、中国の伝統文化は一種の半神文化、すなわち神伝文化である。それは、中華文化のさまざまな面に反映され、民間生活の中にも深く根付いていた。中国人は社会倫理を一種の信仰とし、忠孝仁義を、道徳の上下、品徳の高低を評価する最も重要な基準とした。

 中国では、不忠、不孝、不仁、不義である場合、その人は社会での存在が認められない。『詩経・周頌』にあるように、「天の命は、神聖で厳かである」。古代の中国人は、神霊が「天」の裏側に隠れており、道徳と世俗生活の最終審判者は「神」しかないと信じていた。

 仏教が中国に伝来した後、中国の民間では次第に、天国、地獄、輪廻転生、善悪応報を固く信じるようになった。このような観念は、中国人の倫理道徳の基礎の一部となり、中国伝統文化の基礎ともなった。

 中国文化の中でさらに重要な部分は、中国歴史上の知識人たちによって築かれ、それが、過去の歴史を評価し、未来の社会を予測する文化知識の基礎となった。世界中で、中国人ほど歴史を重視する民族はあまり例がない。中華民族が文字を創造して以来、歴史を記録することが、歴代の最も重要な仕事になった。

 漢字を創造した倉頡は、黄帝の史官(歴史の記述を担当する官職)であった。また、春秋戦国時代、斉国の伯、仲、叔、季の 4人の太史(史官)の中で、3人が斬首されたが、それはただ、「夏の五月の乙亥の日に、崔杼はその君主である光を弑した」という事実を書いたためだ。竹簡に文を書くのは容易ではないが、司馬遷は宮刑に遭った後、暗い油燈の下で、竹簡に 50万余字の 『史記』を記した。漢代より以降、「隔代修史」(後代は前代の歴史を纏める)の伝統により、中国は世界で唯一連続した正確な史書をもつ国家になった。

 

『史記』を編修した司馬遷(イラスト=大紀元)


歴代の史書編修者は皆、当代の大儒学者であり、「歴史に関する学問、見識、才能、道徳観」を兼備していなければならなかった。事件を記録した後、時に「太史公曰く」 や「臣光曰く」のような評論があった。それらは、儒家の観点に立ってこの事件に対する著者の是非論断を表したものである。

関連キーワード
LINE NEWSに『中国の今を伝える 大紀元時報』を登録する方法
^