中国を信じることが新たなパンデミックを招く

2024/05/04
更新: 2024/05/04

自然死は老衰死亡で、自然であり大丈夫だが、悪いのは、中国の実験室で漏れ出たコロナで何百万人もの死者を出したことだ。さらに悪いことに、その費用はすべて米国の税金で賄われている。

アメリカ政府はコロナから何の教訓も得ていない。 疾病観察者たちは、H5N1(鳥インフルエンザ)の世界的な広がりを追跡している。

H5N1(鳥インフルエンザ)は、最初に哺乳類に侵入したウイルスで、南米の海岸にアシカの死体が散乱することになった。 アメリカでは9つの州で34頭の乳牛群が感染した。 科学者たちは、ウイルスが人から人へ感染する可能性のある遺伝子に変異を起こす兆候を心配しながら見守っている。

こうした背景のなか、米国農務省は、新型コロナウイルスが流出した武漢ウイルス研究所の母体である中国科学院と協力している。 この共同研究は、鳥インフルエンザ株を操作して致死性を高め、それをアヒルやガチョウに感染させるものだ。こうした研究は何かの間違いを起こさないだろうか?

バイデン政権がまた、反対の声が上がる中で、3月14日に米中科学技術協定を密かに6か月延長した。

19世紀の科学者ルイ・パスツール氏はかつてこう言った。「科学に国境はない、知識は人類のものだから」

これは崇高な考えのようだが、今日の世界にとってあまりにも素朴すぎる。 米国は敵国の科学者を支援し、研究を共有することに慎重でなければならない。

残念なことに、米国は国際的な共同研究に資金を提供するかどうかの決定を、科学者の手に委ねることが多い。

しかし科学者は往々にして世界的な視野で物事を考え、自国よりも同僚に忠実である。 議会は主導権を握る必要がある。

カナダは感染症に関する中国との協力を制限している。しかし、 保守党のピエール・ポワリエーヴル党首は議会で、カナダの研究所が「危険なウイルス」を密かに北京に持ち込んでいると述べた。 

彼は「我々は、私たちの利益を攻撃する国ではなく、志を同じくする信頼できる民主主義国と協力すべきだ」と述べた。

米国農務省は中国科学院とエディンバラ大学ロズリン研究所と共同で、鳥インフルエンザ株をより致死性の高いものに改良している。

米国農務省の中国側パートナーであるリウ・ウェンジュン氏は、「3か国の協力の目的は、研究データを交換することです……。H5N1(鳥インフルエンザ)世界的な病気をコントロールするために」と述べた。 リウ・ウェンジュン氏の言葉を信用するのか?

それは違う! 武漢ウイルス研究所の科学者たちは、コロナウイルスが流出したとき自由世界に警告を発しなかった。

米国から資金提供を受けて武漢で研究していた科学者のフー・ホウクン博士は、2019年11月に新型コロナ肺炎の症状を発症し、ゼロ号患者(最初の患者)となった。 

しかし、彼の身元と病状が公表されたのは2023年6月のことだった。 もし彼が自分の病状を世界に公表していたら(中国政府はそれを妨げたが)何百万もの命が救われていたかもしれない。

中国は科学において信頼できるパートナーなのか? この疑問は今まさに解かれた。 武漢で最初の症例が見つかって以来、中国はすべての調査を妨害し、国際機関や外国の科学者が武漢の市場や病院のデータにアクセスすることを禁止した。中国人科学者の表現の自由を抑圧してきたのだ。 今日に至るまで、北京は新型コロナウイルスの中国起源に関するいかなる調査も認めていない。

中国が拒否しているのに、バイデン政権が米中科学技術協定の更新を選んだ事実は、「新型コロナウイルス(大紀元は中共ウイルスとよんでいる)」の犠牲者の遺族に対する侮辱であり、将来の災難を示唆している。

共同研究は平和目的にのみ使用できると定めた「親善条項」を、中国と交渉しているとみられるアメリカ政府の主張は、不穏なほど単純である。

「善意」は冗談だ!  1月、北京で発表された研究によると、ある研究所がコロナウイルスの近縁種である変異ウイルスを作り出し、「ヒト化」し、マウスに痛みを伴う病気を引き起こしたという。

このウイルスは 「ヒト化 」したマウスに痛みを伴う病気を引き起こし、その死亡率は100%に達する。 研究室が厳重なバイオセキュリティ対策をとった形跡はない。 「無謀」という言葉を使ってもかなり控えめで、「非常識」と言った方が適切だという。

今週、ヨーロッパの科学者たちが、将来世界的大流行が起こる可能性の高い原因について世論調査を行った。その結果、インフルエンザ・ウイルスは可能性が高く、その次にリスクが高いのは、新型コロナウイルスのような、突如として現れる病原微生物である「疾病X」との見解が示された。

公正な警告である。 アメリカは、中国製の次の「殺人鬼」の誕生に資金を提供したり、協力したりすべきではない。