THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(20)「再び逃避行」

2008年03月10日 09時48分

 再び逃避行

 今回は山奥の森林地帯を歩きました。大人の人たちが言うには、獣が出没する恐れがあるから、暗い森林の奥に入ってはいけないということで、私たちはしかたなく山すその低い林の淵に沿って歩きました。路に生えているのは低い木ばかりですが、棘が生えた木があり、体に刺さると非常に痛いのです。特に夜は真っ暗なので、気をつけないとすぐに刺さってしまい、服が破け、体に刺さって血が出てきます。

 また、雨も降り出して、葉っぱが濡れているため、足元は滑りやすく、気をつけないとすぐに転んでしまいます。靴の中には水が浸み込み、気持ち悪くてとても歩き難かったのです。逆に、晴れると今度は蒸し暑くてたまりません。このように、前回とはまったく違う状況になりました。

 大人も子供も、雨で地面がぬかるんでいることなどお構いなしに、休憩になったらその場で横になって寝てしまうほど疲れきっていました。もう、逃避行に出発したばかりのときのような元気はありませんでした。

 3日目の午後、私たちは山間の道に出ました。まもなく朝鮮屯に着くから、そこに着いたら休めると聞きました。しかし、弟は足に水ぶくれができ、痛くてしきりに泣きました。私のほうはすでに辛いとかお腹がすいたなどということが感じられず、ただただ、すぐに横になりたいだけでした。しかし、母は妊娠しているにもかかわらず気丈で、私と弟を横にならないようむりやり引っ張り、座ることさえさせてくれませんでした。一旦横になれば、おそらく二度と起き上がれないだろうと心配したので、目的地まで我慢して歩き続けて欲しいと思ったのです。

 その後、私たちは朝鮮屯に辿り着きましたが、中には入らず、少し離れた草地で夜を過ごしました。

 翌朝、目が覚めたとき、少し冷たく感じました。私は全身が露で濡れていました。母はいつ起きたのか分かりませんが、すでに私たちのためにジャガイモと枝豆を調理してくれていました。しかし、母はそれを食べませんでした。母はいつもまず私たちに食べさせ、残ったときは自分でも食べましたが、たいていは残らないので、母は結局何も食べなかったのです。

 幼い私は、母の考えがよく分かりませんでしたが、今、眼前の母の行為を見ているうちに、突然辛くなり、母が愛しく、自分が恥ずかしくなりました。父が家を出るとき、ここでは私が一番上だから母の手伝いをするようにと頼まれたのに、私は何も手伝わず、母1人に辛い思いをさせていたのです。

 私たちは、何日も着替えができず、それに晴れの日も雨の日もびっしょり濡れた地べたに横になったので、頭と体全身にシラミが沸きました。

団長はソ連軍と談判に出かけました

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