印刷版   

今も定時に鳴り響く、川越のシンボル「時の鐘」(写真=大紀元)

川越 小江戸の風情 今に伝える蔵の町

 【大紀元日本12月12日】木材や紙や藁で造られた日本家屋は実に優れたもので、日本の湿潤な気候風土によく合っている上、軽くて加工しやすく、地震にも強いという利点がある。しかし、火災には無力なほど弱い。だからこそ日本史は、とにかく燃えに燃えた歴史なのである。

 当時、世界最大の100万人都市であった江戸は、まさに火災都市でもあった。九尺二間の長屋に住む庶民は、火災が起きた際、とにかく身一つで逃げる。消火活動は、防火線で延焼を食い止めるための破壊消火であったため、借家の住まいに未練を残しているわけにはいかないのだ。

 ところが庶民と違って、大店(おおだな)の商家はそう簡単には逃げられない。江戸の初めの労働者中心の頃はともかく、都市経済の基盤となる商業が発達してくると、商家の財産をどうやって火災から守るかということが喫緊の課題となった。

 とりわけ明暦3年(1657年)に起きた明暦の大火は、振袖火事とも呼ばれ、江戸の全域を焼き尽くし、死者だけで10万人を超える江戸時代最大の惨事となった。この火事では江戸城の天守閣も焼け落ち、以来、二百余年、天守閣は再建されないまま徳川幕府は終焉を迎えることになる。

 この時、天守閣第二層の鎧戸が過失により開いていたため、そこから火の粉が入ったことが延焼の直接の原因であるとされている。しかし今日、その江戸城跡である皇居を目にすることができるが、堀の外から迫ってきた火がいかに猛火であったとしても、遠く離れた天守閣を焼き落とす原因になりうるのかと不思議にさえ思う。東京の町が燃える悲劇は、後世、関東大震災や東京大空襲で再び経験することになるが、その激しさはおそらく想像を絶するものだったのであろう。

 いずれにせよ明暦の大火の後、火災対策の一環として、厚い土壁と瓦葺き屋根をもち、耐火性の強い「蔵」の建造が幕府から奨励されることになった。

 やがて蔵造りは、江戸から全国各地へと広まった。今日、埼玉県の川越市に残る「蔵の町」も、江戸期から明治時代にかけて川越で起きた火災の教訓のなかから生まれた町並みである。言うまでもないが、時代劇に見られるような泥棒よけのためではないので、誤解なきように。

 重厚感あふれる蔵の威容に、この町を訪れる人々の目が留まる。現在、川越市には蔵造りの文化財指定(重要文化財も含む)を受けた個人住宅および資料館が23カ所あるという。

 関東地方では鎌倉市や日光市に次いで文化財の多い川越市は、いつしか風情ある小江戸と呼ばれるようになり、季節を通じて多くの観光客が訪れている。近年では、外国人観光客も増えているそうだ。

 川越の「蔵の町」へは、JRまたは東武東上線川越駅から東武バス「一番街」下車。

重厚感あふれる蔵造りの建物(写真=大紀元)

風情ある町並みを人力車でまわるのも楽しみの一つ(写真=大紀元)

板塀の商家が並ぶ脇道も静かな趣がある(写真=大紀元)

(牧)


 (10/12/12 07:00)  





■キーワード
川越  小江戸  蔵の町  江戸  明暦の大火  振袖火事  


■関連文章
  • 【今に伝える江戸百景】 赤穂四十七士が渡った橋(10/12/07)
  • 【今に伝える江戸百景】 江戸の賑わい今も 浅草・酉の市(10/11/16)
  • 【今に伝える江戸百景】 桜田門外の静寂(10/11/02)
  • 【今に伝える江戸百景】「夏草や兵どもが夢のあと」千葉県・矢切の古戦場(10/09/13)
  • 【今に伝える江戸百景】都会のなかの森と水 井の頭公園(10/09/07)
  • 【今に伝える江戸百景】 東京に海があった頃(10/07/26)
  • 【今に伝える江戸百景】 二つの聖堂 静かなる修養と祈り(10/07/12)
  • <今日は何の日?>7月5日 江戸切子の日(10/07/05)
  • 【今に伝える江戸百景】花菖蒲の名所 堀切菖蒲園(10/06/27)
  • 元気いっぱい!江戸川区小松川さくらホール・サークル発表会(09/06/08)
  • こんなお箸でご飯が食べたい!=江戸木箸職人・竹田勝彦さんに聞く(08/09/30)
  • 庶民が憩う下町の天神様「亀戸天神宮の藤まつり」(07/04/25)
  • 黄門様の梅祭り「400年の伝統芸・江戸太神楽」(07/02/12)
  • 日本水フォーラム事務局長・竹村公太郎氏「江戸100万都市は、奇跡の町」(06/11/29)
  • 鎮魂そして決意…罪なくして逝きし兄弟たちへ…(06/07/30)