THE EPOCH TIMES

ソ連政治局 天安門事件死亡者は3000人と記録

2011年08月22日 09時19分
 【大紀元日本8月22日】1989年10月4日に開かれた旧ソ連の上級政治機関・政治局の会議で、中国で同年6月4日に起きた「六四天安門事件」では、3000人の死者が出たと言及されていたことが、機密扱いとなっていた当時の議事録より明らかになった。欧州で権威ある、ドイツの時事週刊誌「デア・シュピーゲル」が11日、ゴルバチョフ元ソ連大統領とのインタビュー記事の中で伝えた。

 同誌によると、機密書類となっていたソ連政治局の議事録には、ゴルバチョフ氏が政治改革「ペレストロイカ」を推進する中で、反対勢力への武力行使も辞さないことを示唆していたとし、3000人が天安門事件により死亡したとの報告を受けた当時のゴルバチョフ大統領は、こう答えたという。

 「我々はリアリスト(現実主義者)でなければならない。リアリストはその身を守る必要があり、我々もそうするべきだ。3000人が、何だというのだ」

 ソ連政治局が残した数字は、海外に亡命した同事件の当事者である学生リーダー・封従徳氏が主張するものと一致している。封氏は、隠された六四天安門事件の真相を10年以上訴え続けており、同事件の関連資料を公開するサイト「六四档案(64mome.com)」を運営している。

 封氏は2008年、サンフランシスコで開かれた六四天安門事件19周年記念式に参加した際、この事件で死亡した学生と市民の数は、3000人前後と主張した。その証拠について封氏は、事件発生後に赤十字社が調べた各病院の死者の統計と、首都高校自治連合会の秘密調査による死者の統計をあわせると、合計3000人前後になると説いた。また、「赤十字社の統計数字には根拠がある、信用できる」と加えた。

 中国共産党は、未だに六四天安門事件で死亡した犠牲者数を明確にしていない。当時の国防部長は「死傷者は出なかった」、国務院は「23人死亡」、北京市長は「36人死亡」、国家副主席は「600人死亡」と、統一した数字を発表していない。

 六四天安門事件に対する当局の情報封鎖・監視も厳しい。事件から22年経った今でも、中国国内では事件に関する報道は一切なく、ネットでは情報を封鎖され、関連の討論も厳しく禁止されている。「中共は嘘によって罪を隠し、人々の記憶を消していく」と封氏は指摘した。

(翻訳編集・王知理)
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