THE EPOCH TIMES

英国バイリンガル子育て奮闘記(99)スワジランドへ(2006年)

2011年08月08日 07時00分
 【大紀元日本8月8日】娘の履修したインターナショナル・バカロレアのコースの責任者が、アフリカの小国、スワジランドに数年滞在していたことがあり、エイズの孤児に教育の機会を与えるための慈善事業の設立に関わっていた。そして毎年20名がスワジランドに10日間滞在することが、バカロレア・コースの一環となっていた。ボランティア・サービス・プロジェクトに参加したことになり、コースの必須要項である50時間のソーシャル・サービスに加算される。

 アフリカといってもスワジランドは高台にあり、7月でも涼しい。空港に降り立って、ヒヤッとしたそうだ。一泊めはホテル、そして地元のユースホステルのような場所に移動し、最終目的地であるシェウラ(Shewula)に三日目に入り、4泊する。その後、サファリパークの見学が盛り込まれていた。小さなミニバスで、小さな国を隈なく見学させてもらい、お金のある地域とない地域の差を目の当たりにする体験だったようだ。

 シェウラは観光客も滞在できるキャンプ施設だが、その敷地内に、様々な事情で学校に行けない子供たちのために学校が設立された。主にエイズで親を失った孤児が対象となっている。到着したら「Thank you, Truro College」と、娘の高校に感謝する歌を子供たちが歌ってくれたそうだ。

 子供たちは教育だけでなく一日2回の食事もきちんと与えられ、健康面でも育まれる。出発前に、娘の学校では基金集めのディスコなどをしていたようだが、基本的にはお金ではなく、直接役に立つ子供用の衣類をスーツケースにたくさん詰めて持って行った。

 子供たちに悲壮感はない。追いかけっこをして、足が速くてついていけなかったとか。毎年、同じ頃に娘の学校の生徒が訪れるので、子供たちも慣れっこになっていて、デジタルカメラで自分の顔写りを見たがったが、娘のカメラだけは古式のフィルム入りで、子供たちががっかりしていたそうだ。

 キャンプ場にはガスはあったが電気はない。真っ暗な中でシャワーを浴び、懐中電灯を友人が照らす中で洗濯物を洗ったそうだ。オーストリッチが敷地内を走り回っていて、食卓にあがる食べ物はオーストリッチ…。

 英国に戻ってから「この家は贅沢すぎる」と、わずか10日のスワジランド滞在ながら、カルチャーチョックに悩んでいた。知り合いが「アフリカの子供たちは魅力的なんだよね。一度体験すると離れられなくなる…もうずっと住んでボランティアしてる友人がいるよ」と話してくれた。娘の部屋にはポップスターではなく、自分で撮影したアフリカの子供の写真がずっと貼ってあった。

 思春期の娘の成長に素晴らしい役割を果たしてくれたアフリカの子供たちへの感謝の気持ちから、今もこの慈善事業に月に一回、小額ながら寄付している。二人の子供が学校に行けるようになりました、という手紙が先日届いた。

 (続く)

 著者プロフィール:

 1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。

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