THE EPOCH TIMES

原発40キロ圏 孤立する避難所 精神的疲労が鬱積

2011年03月23日 09時27分
 【大紀元日本3月23日】3月11日、世界最大規模の未曾有の災害と日本史に記録された東日本大震災。震源地である三陸沖に近い東北3県の沿岸部では、いまだに震度3ほどの余震が2、3時間ごとに観測され続けている。非日常的な避難所生活を送る人々にとって揺れは恐怖感を与え、精神的な疲労が鬱積している。

 原発から40キロ圏の福島県南部の町は、常磐自動車道が21日まで通行止めだったこともあり、報道網も物資も十分に行き届いていない。放射能による健康被害が懸念され、災害ボランティアチームの足も遠のいている。ヒト・モノの届かない地域の孤立化が起こっている。

 眠れない余震の音 使えない暖房器具

 福島第一原発から45キロ、いわき市にある市営・平(たいら)体育館は避難所に指定されており、およそ120人ほどの被災者が避難生活している。

 余震のたびに、体育館全体の骨組みが床から天井に掛けて「ビシビシ」と音を立てて振動する。その音は夜になるとさらに大きく聞こえるという。「地震のたびに、誰かが『ワァ』と叫んで起き上がって、その悲鳴で何度も目が覚めた」と避難者の伊達ヨシ子さん(65)はこぼした。

 実際に、避難者の寝床をお借りして床に横になってみた。頭と床を隔てるのは数枚の薄いフェルトのみで、人が立ち上がって歩いたり、物を動かしたりすると、「ギシギシ」という振動が鼓膜に伝わっくる。

 灯油などの燃料も、道路の損壊などで各避難所までは行き届かず、暖房器具があったとしても使えないため、避難所内は寒い。「スイッチが入らない、役に立たない暖房器具なんて、置かれているのを見ただけで寒くなる」と、ある避難者がつぶやいた。

 いわき市周辺ではいまだに8割の世帯で断水が続いている。そのため衣類の洗濯や日用品の洗浄が難しく、衛生を保つのが困難になる。「トイレは使用後、自分でタンクに水を入れるように」と張り紙がされている。汚物を流してもタンクの水量が少ないと流れきらないこともあり、避難者は嫌悪感からトイレを我慢したり、水分を取るのを控えたりしている。同館を管理する体育館職員らは、毎日廊下をアルコール性の洗浄剤を使ってモップで拭いていた。

 21日の福島県の天気は、一日中「雨」だった。経済産業省原子力保安院は、水に溶けた放射性物質による人体への影響を避けるため、「雨にぬれないように」と警告を出した。外出する人はますます減り、窓を開けての換気もできないため、人は新鮮さを味わうことが難しい状況に置かれている。

 管理者のストレス ボランティアとの衝突

 「食事や毛布を皆に均等に配らない、あいさつもしない、避難者との心のコミュニケーションが取れていない」と、東京から災害ボランティアに来た光山福二さん(60)は、市内のある別の避難所となった公民館の管理者側に不満を抱いていた。

 光山さんによると、自主的に足りないものや不満を避難者に聞いて回っていたら、「勝手な行動を起こさないでほしい、管理が難しくなる」と厳しく注意され、館内での行動を監視されるようになった。「ストレスが溜まっているのは避難者だけではないようだ」と光山さんは述べた。管理者側にも話を聞こうと試みたが、拒まれた。

 かつて経験したことのない避難生活に加え、さらに、外部者を含めた他人と時間を共有するという特別な環境が、人間関係を複雑化させているようだった。

 残された人 

 「みなつらい思いをしているけど、しかたない」と、同市広野町出身の佐藤カヨさん(40代、匿名)は、力なく笑う。

 佐藤さんの出身である広野町は、福島第一原発から約20キロ、第二原発から10キロの所にあり、退避地域に指定されている。足が悪く、体が思うように動かない。夫(40代)と小学校2年生の子供は、先に千葉の義姉の元へ避難した、とこっそり明かしてくれた。夫は電話で、「姉さんの所にいつまでも厄介になれない。ガソリンも入手が難しいが、そちらに向かうから(避難所に)居てほしい」と告げられた。

 佐藤さんは、あと1カ月間は避難所暮らしが続くと考えている。「同じ広野町の友達も(避難所に)いるから寂しくない」と話す佐藤さん。「だって他に行くところがないもの」と言う。

 ゴーストタウン化する街 いわき

 体育館を後にし、記者はいわき駅へ向かった。東京からの高速バスが一台、到着した。娘夫婦のいる東京へ一時避難していた釜田友紀子さん(54)は、「原発が怖くて避難していた。状況が良くなっていくのかどうかわからないし、報道を見ても放射能の人への影響もよくわからない」と不安を抱える。いわき市へ再び戻るのは、なかなか地元を離れようとしない両親に会いに行くためだ。「東京へ呼びたいのだが、動こうとしない。仕方がないからこちらから行くことにした。でももう私は残れないと思う」と話した。

 祝日や休日は地元の人々や観光客で賑わうという駅周辺だが、スーパーやコンビニエンスストアなどの食品販売店やホテル、居酒屋など、ほとんどの店は閉まっている。駅近くのタクシー乗り場には、走らないタクシーが眠るようにじっと並んでいた。

 一台、タクシーが通りかかった。「ここは今やゴーストタウン。皆、方々へ散ってしまったよ」とタクシー運転手は話してくれた。市の発表によると、平成23年2月時点のいわき市の人口は34万人。震災後、3月21日までに4555人が市外へ避難したというが、自主的に他県へ移動した人の数は「避難者」と見なされないため、この数には含まれない。

 警視庁によると、東日本大地震による福島県内の死者は735人と、最も死者の多い宮城県の5364人と比べると少ない。しかし避難者の人数は13万1665人と、宮城県の11万3223人を上回る。避難をしたのは「原発事故の影響を避けるため」とこのデータが物語っている。

 原発周辺の町 人口ゼロ 

 政府は、福島第一原発から20キロ圏の地域に避難指示を出した。福島県浪江町、富岡町、大熊町などの圏内の町は、ほぼ全人口が他の町や県外に移動したため、「人口ゼロの町」と化している。避難指示がいつ解除するのか、政府は具体的には明らかにしていない。富岡町からいわき市内の体育館へ避難してきた伊藤裕美さん(40)は、「半年は解除されない、との噂を聞いた。いつまで避難所生活が続くのか、先が見えない」ともらした。

(佐渡 道世)


関連キーワード

関連特集

^