広西省:義をなした英雄 高医療費を負担できず飛び降り自殺

2005/08/21 17:00
 【大紀元日本8月21日】2005年8月4日の昼、広西省賓陽県黎塘鎮の青年韋兆安が、南寧市瑞康医院ビルの19階から飛び降り、その若い生命を終えた。多くの親類が彼の遺物を整理していた時、韋兆安が、実はかつて義に勇んだ英雄であったことが判明した。

 兄の死について語り始めた時、弟の韋兆寧は泣きながら次のように述べた:彼の兄は家が高い医療費を負担できないことを心配したからこそ自殺したのである。

 義に勇んだ英雄は19階から飛び降りた

 中国青年報の報道によると、2003年12月27日、当時珠海市の保安スタッフであった韋兆安は、路上で悪人が街でかばんの引ったくりをしているのを見かけ、勇敢に立ち向かってこれを捕らえたが、その際、悪人の仲間に3回に渡って刺された。2004年7月、珠海市は表彰式を盛大に行い、全市で勇敢な行為を行った先進的なグループ及び個人を表彰した。彼のランクは、個人の部門で第2位であった。

 珠海で勇敢な行為を行った時、韋兆安は悪人に3回刺された。当時、彼に出血性ショックが起こり、手足が冷たくなった。凶器は彼の右臀部、右の背中、左大腿部に刺傷を負わせていた。このうち、右臀部には4センチ前後の傷口があり、傷は尾骶骨にまで達し、直腸、小腸にも多数の刺穴があった。医師が全力で救命活動行い、2日目の午前2時前後になって流血が止まった。3日後、韋兆安は基本的に危険な状態を脱した。

 2005年の清明節前、韋兆安は、珠海中大五病院で3回目の手術を行い、その後賓陽県黎塘鎮青山村委の里仁村で休養をとっていた。

 韋兆安の弟韋兆寧によると、珠海から戻った後、兄は常に腹痛を患い、ひどい時には痛みのあまり死を願う程であった。黎塘衛生学校で医療を専攻した兄は、自ら調合した薬草を摂ったり、彼に頼んで痛み止めを買ってきてもらい、これを服用した。兄は、父母が心配することを恐れ、珠海での出来事を家族には告げなかった。

 韋兆安は、故郷に戻った後、大部分の時間を弟と暮らした。今年の8月1日、韋兆安は病気の母親を見舞った。2日目の夜、病状が好転しないことから、韋兆安は家族によって南寧市瑞康病院に移された。

 8月4日の早朝5時、韋兆安は弟の兆寧に言った:“私の部屋にまだ600元あるので、足りなければ持ち出して使ってほしい。” 韋兆寧は、このお金が、兄が来年に針灸を学ぶために貯めてきたものであったことを知っていた。当日の昼、韋兆安は弟に食事を取りに行かせ、弟が病室を離れた後、19階の窓から飛び降りた。

 勇敢な行為の証書は箱の底に

 韋兆安の家に行って記者が知ったことは、彼の母親が風湿性心臓病で、2003年には深刻な腎結石で、片方の腎臓を摘出していたということであった。現在、彼女は軽微な家事を行うほかは何もできない状態であった。韋兆安の大祖母、祖父・祖母の年齢は既に高くなっており、去年には祖父が車に衝突され、現在もなお床に着いている。韋兆安の姉はずっと病気がちで、常に入院治療を受けることが必要であった。

 韋兆寧が記者に述べたところによると、2004年7月、珠海市人民政府は、韋兆安に1万元の奨励金を与えた。韋兆安はこのお金の半分を家族の治療代に充て、残りの半分を自分の古傷の治療に充てた。その後、彼ら兄弟は、韋兆安が南寧の内装工事で稼いだわずかなお金のみに頼って生活していた。

 珠海を離れた後、韋兆安は珠海の関係部門を再度探すことはなかった。また、困難を南寧市賓陽県に伝えることもなかった。それだけでなく、韋兆安は、自らの行為の証書や、当時の彼の事績を伝えた新聞を箱の底にしまい込んでいた。彼が世を去り、家族がその後の処理をしていた時になって、これらの物がはじめて出現した。

 英雄はなぜ死を選んだのか

 “韋兆安が南寧市の病院に送られたとき、家には2000元のお金しかなかった。”子供の事に触れると、彼の父親である韋方和は暫く涙を流した:“彼の病気の治療のために、従兄弟らが皆手を差し伸べてくれることになっていた。兆安はあまりに正直で、あまりに愚かであった。”

 兄が珠海病院で救命措置がとられた時、大体10万元の治療費がかかった。これらの費用は珠海市が支払ったが、その巨額の医薬費に彼は驚いた。韋兆寧は記者にこう述べた:兄は衛生学校を卒業しており、自分の病気についていくらかの知識があった。この種の病は容易に再発するもので、彼は治療に沢山のお金がかかり、その結果として家を破産させることを心配していた。

 家族の者は皆、韋兆安が自殺した原因は、医薬費が高すぎ、家族を巻き添えにすることを心配したことにあると考えている。

 韋兆安の伯母は、彼の病床で、自分にはまだ1000元があるから先に使ってもよいと彼を慰めたことがある。しかし、伯母の2人の子供が病気であり、やっと貯めた1000元は学校が始まる二人の子供の学費に供するためのものであることは皆分かっていた。

 事件後になって、韋兆安の叔父である韋方偉は、はじめて兆安が次のことを何度か言っていたことを思い出した“この病気になって、治療がうまくいかなければ、この世にいたとして何の意味があるのだろうか。” 韋兆安は次のような夢を抱いてきた:針灸・按摩を学び、30歳前に自分の努力で大学本科の証書を獲得する。

 韋方偉は言う。以前の兆安はこうではなかった。病苦の後に心が変わってしまった。

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