中国経済の現状と展望 その六

2006年03月08日 17時04分
 【大紀元日本3月8日】
程暁農博士(大紀元)

程暁農:1985年、中国人民大学大学院修士課程経済学研究科修了後、中国全人代常務委員会弁公庁研究室を経て、経済体制改革研究所に勤務、経済体制改革研究所主任、副研究員を歴任、前趙紫陽首相が主導した改革における中枢の一人として活躍。1989年の天安門事件後、ドイツ経済研究所、プリンストン大学客員研究員を経て、同大学において社会学博士を取得。《当代中国研究》の編集責任者。

 貧困という問題はどこの国、地域にもある程度は存在している問題である。経済発展によりそれを解消し、社会の中間層というものを拡大していくことが、経済政策の一つの目的ともいえよう。経済政策はというものは、決してすべての人に有利に働くとは言い切れないものがある。もし、貧困問題に関する政策、あるいは施行された経済政策が、ある特定の集団に有利に働くということであれば、その政権の本質的なものが見えてくる。そのような視点から、80年代、90年代の中国の経済政策を検証していきたい。

 社会政策の変化:弱者を「邪魔もの」とする

 80年と90年代の中国の社会政策を比べて見ると、大きく違っていることが分かる。80年代頃、中共はバランスを重視し、異なる集団の利益を均衡化していた。改革前期、今まで抑制していた農産物の価格を引き上げたり、労働者への賃上げを行ったりして、できるだけ各階層の利益を均衡化するようにと努めていた。そのため取得格差は小さく、改革初期、中国大陸のジニ指数は世界の中でも低い国であった。(ジニ指数は0~1間で、取得格差を示す指数。ゼロに近づくほど取得格差が小さくなる。0.5以上の場合、取得格差が大きいと考えてられている)

 しかし、前回述べたように90年代に入ると、中共は自分の政権維持を最優先とし、政治戦略を変更した。それによって経済発展の目標は変わってきた。一言で言えば、90年に入って、中共は8億人の農民を、国営企業からの余剰人員である「邪魔もの」と見なし、できるだけそれを捨て、権力集団の利益を中心とする経済発展へと転換した。

 失業は長期的し深刻化する

 前回述べたように中共は外資を誘致するためにショーウィドウ式の経済を沿海地域に展開してきた。その資金源の一部は農業銀行からであるが、農民に対し、一方的に搾取したため、やがて農業系金融システムの破壊をもたらした。また、国営企業改革の一環として構造改革を行った。その中心として大規模な人員削減を行った(中共政権は「下崗」と名付けた。一時的に職場を離れるという意味)。こうした政策はもちろん合理的な政策が含まれている。国営企業には大量な余剰人員が存在し、一時的に職を失った労働者に対し、政府は長期的な計画を立て、再就職できる機会またはその環境を作る必要があるが、中共は手を抜き、名義だけの再就職センターを設立し、失業者をその再就職センターに留めては、数年間の失業手当を与えただけで済ませた。その政策からほぼ十年が経過したが、それらの人たちはほとんど再就職のチャンスがなく、長期的な失業となってしまったのである。しかも、失業手当はとても低く、ぎりぎりの生活ができる程度のものであり、一旦病気による治療といった予定外の出費が発生したならば、生活することもままならないということに直面する。

 中国のすべての国営企業で無責任な人員削減を行っており、都市部の大半な家庭は「下崗」させられたことがある。一時的オフされた人は、やがて長期的に職を失ってしまった。それらの人の中には、30代、40代の人も少なくはない。技術や技能を持ちながらも、それに見合うような仕事に就くことができない。

 公団住宅の二重負担

 国民に対する負担を軽減するという名目で、中共政権は一連の社会福祉を削減する政策を打ち出した。最初のカット対象になったのは、計画経済時期の福祉公団住宅であった。公団住宅の「資産使用権」という名目で、居住者から資金を徴収したが、それば莫大なものであった。実際には、こうした公団住宅はすでに居住者らが購入費を支払ったものなのである。計画経済の時代に、労働者の賃金は食費を維持できる程度であった。しかし、中共は長期的にこのような低賃金制度を維持するために、無償で住居や医療を提供するという保証をしたのである。住居は労働者らの給与の一部となり、前払いをされたともいえる。

 しかし、「資産使用権」という名目により、実質二回の購入を求めたのである。各家庭は数万元、十数万元もの金額を支払わされ、これによって大半の家庭は、一生苦労して得た貯蓄が、一瞬にして蒸発したのである。何とも痛ましい事であるが、人々は「最高の手口の詐欺」と、しばしば冗談で紛らわしている。これは中国経済の長期的な内需不足の大きな要因の一つでもある。

 公費医療制度の廃止

 中共は住宅改革の後、次に公費医療制度の見直しを行った。公費医療制度を見直す必要性があるとは考えられるが、過去の計画経済における低賃金制度での労働者の利益を考える必要もある。しかし、中共はこのようなことを一切考慮せず、単純に過去と切り離し、公費医療制度を廃止し、医療保険制度を導入しただけなのである。実際に、医療保険がカバーできる範囲は、都市部就労者の約20%にすぎない。主に軍人、公務員、学校の教師が中心となっている。しかも、医療保険の負担額はほぼ最小限に抑えられている。

 医療保険による負担額は、一1ケ月に一回の風邪による治療費用程度に過ぎない。入院、手術、大きな病気になった場合、ほとんど自費で負担しなければならないのが現状である。その結果、医療機関は利潤追求に傾倒し、一方的に治療費を決めるケースが増え、患者からの苦情が高まってきた。多くの人は、病気に罹っても辛抱するということになり、退職者、高齢者にとって病気に罹るということは致命的なことになりかねない。05年10月中共政権は、はじめて自ら医療改革は失敗であることを認めた。しかし、その対応策には数々の疑問が投げかけられている。(続く)

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