全面的に「発展の危機」段階に入った中国

2006/08/21 11:42
 【大紀元日本8月21日】2006年上半期中国(大陸)のGDP増加は10・3%に達して、更に世界の注目を浴びた。陳光誠事件で国際社会の注目を浴びた山東省は、「上半期にGDPが一兆(人民元)を超え、去年と同じく依然として全国第二位に位置する。」と公表した。全面的な急速な成長の中、国際社会は新発展経済学の一つ重要な概念、即ち「無発展増加」を忘れたようで、まだ「中国例外論」=「景気と不景気の周期」の支配を受けないことが実際に存在すると信じている。更に言うと、中国が本当にシンガポールの経験に則って、政治上では独裁を維持し経済上では民主を実行するなら、21世紀の「斬新な中国」を作り出せると言う。

 実際には、中国大陸はすでに全面的に「発展の無い増加」の苦境に陥った。つまり、「発展は経済成長と社会(制度)変革からできる」の基本的な原理をばらばらに独自の一国二制度を進めたと言う。

 一、発展と増加の本質的な違いを混淆した

 発展とは構造の改善に指向し、増加とは総量の増加を重視する。だからGDPの急速な成長を発展として扱うと、認識不足だけではなく、今後も非常に危険だ。

 1966年米国経済学者R. 劳克尔が「発展のない増加」(Growth without Development)を書いた後、多くの国の案件は皆この類の経済成長が招いた危険性を証明した。構造上の問題として、発展途上国ではGDPが増長しつつあったが、経済構造は大きな変化を遂げなくては、暮らしの現状は改善できず、貧困、失業、所得分配の不公平など三大基本問題は解決していないという。そのため、このような現象が発展の危機とも呼ぶ。1999年に至っても国連のユネスコはまだこの現象に注目している。1999年3月に「使者」に研究報告が公表され、「マリ(Mali)共和国は1994年~1996年にGDP平均5%の成長率を得るけれども、年平均貧困人口は2%のスピードで増大して、その結果マリ共和国の920万人口の中72%、即ち670万強が貧困ライン以下にある」という。(UNESCO Courier 、 March、1999、 Sophie Boukhari)

 九十年代中期のマリに比べ、今日、中国の社会品格は良いといえない。失業、貧困、分配の不公平など三大要素を抱え一体、中国をどこへ引っ張って行くのか、最も高い政府高官層から最も低い出稼ぎ者層まで、誰もはっきりと判断できない。冼岩氏は少し前に「多維ニュース」に発表した文で言ったように、ただかすかに「中国の危機は氷山の一角を現している」と感じたのだ。

 平均主義の伝統(即ち「貧しきを憂えずして、等しからざるを憂う」)がある社会に政府公表のジニ係数はすでに0・45までなり、たとえ国情要素(例えば公民は伝統国家の合法的な暴力の下での忍耐、及び政府が「仁政」を行って)の更正効果を加えても、実際に社会がハイリスク(危機的状況)段階に入ったことを語っている。

 ハイリスク段階で社会全体が政治的熱狂に陥ることを避けるため、政府のエリート層は国際社会には必ず(中国)を民主の方向へ推し進めると約束しながら、一方、不当に社会の多次元な訴えを抑え、憲法精神と政治手段が一致しない現状、つまり中国の新しい「西周没落の矛盾論」を形成した。山東の1兆(人民元)GDP増加と陳光誠氏に対する不法監視は、これを説明できる最も典型的な例である。社会のハイリスク段階で当局が発展と増加の矛盾の激化を緩められなければ、陳光誠事件のような衝突がまだ頻繁に発生するに違いない。しかも、この中で政治の倫理合法性がいっそう低下していく。1987年台湾の蒋家グループのような道を求めることこそ問題ははじめて緩和できると思う。

 二、忠告耳に逆らうか、耳をふさいで聞こうとしないか?

 世界銀行がマリ共和国の案件を研究する前に、早くとも1996年に中国共産党体制内の学者、例えば錦州市委員会経済学教学研究室主任王暁妍助教授が、「増加あり・発展なしの教訓から見る経済成長方式の転換」の観点を掲げ(「錦州フォーラム」、1996年4月号)、王氏はすでに所得格差問題に視点を置いたが、これは1988年以来はじめての明確な忠告なのだ。2004年初め、中央財政経済指導者事務室の副主任陳錫文氏も、GDP増加は本当の発展とは言えないとはっきり語った。「GDP増加はいかに早くても、『三無』(土地がない、仕事がない、社会保障がない)農民を大量に出したのは、発展と呼べるのか?」と述べた。陳氏はこのような温厚な言い方で各地方ないし中央官吏の常識的な過ちを指摘し、中国社会科学院青書の背景の下で軽く批判したのだ。青書の公表データによると、「我が国に都市部の失業率が年々上昇する。都市と農村の一人当たり所得格差は持続的に大きくなって、1999年は2・7対1で,2003年が3・2対1にと拡大した」(新華社、2004年3月1日)。

 21世紀初めころまで、「発展のない増加」は既に問題点になって、経済発展が遅れる地区はこの問題点の解決をスローガンにしはじめた。例えば2003年に「東北古工業基地を振興」の政策の下で、国家発展改革委員会企画司長・楊偉民氏が、沈陽で(古い工業グループの利益を代表して)「単にGDP増加を求めて雇用問題を解決しなければ、多くの人の生活は最低保障ラインの下に置かれ、これは「発展のない増加」といい、このような増加モードは多くの国から見捨てられた」と発言した(新華ネット、2003年11月28日)。更に、2003年、中国社会科学院社会学所副所長・李培林氏はSARSの終期をきっかけに「社会決算」の構想を掲げ、単にGDPだけでなく民衆の福祉も政治業績の指標に入れる必要があると主張した(中国青年報、2003年6月29日)。

 しかし、これらの提案つまり忠告はただのスローガンに帰結するしかない。

 まず、人権状況が深刻に悪化する山東はつまり2006年上半期のGDPが全国第2位の省は、近代的な政治文明の概念を持っていないだけではなく、環境に対する破壊もきわめて重大な状況を招き、渤海が汚染の海にさせた主な「起因率」も山東から来るのだ。

 山東GDP第2位が重要か、それとも渤海が「死海」になる基因を挽回することが重要か?――この極めて簡単な質問に、北京の政府高官層は誰一人として回答しない。

 次に、環境破壊と資源の略奪的な開発に関係がある。利益追求を目指して多くの急遽に発展した地区と業界は、最も基本的な人道主義も顧みず、例え山西省で多発の「血の石炭」のような事件に、耳をふさいで聞こうともしない。

 中国経済の第2の牽引車と称する揚子江デルタ地区で環境破壊の結果が全面的に現れた。この判断は土壌環境の全体の汚染悪化を根拠にしている。「2004年、中国科学院南京土壌研究所の調査結果によると、江蘇省の一部地区で小麦、米、小麦粉の中で鉛の検出率は88・1%にも及んだ。(「鳳凰週刊誌」、2005年第36号無錫市病気予防センターの公表による)。1991年~2004年の間、無錫市の肝臓癌、胃癌、肺癌の発病率は明らかに上昇するという。(同上)

 幾度、国家環境保護官署は「緑のGDP計算体系」を推し進めようとし、即ち胡錦涛氏が2005年3月10日の「緑の国民経済計算システムを研究」の指示を己の務めにしようとするが、最後に統計官署との権力の争いに終始した。中国でGDPデータの最後公表権を握れば、古代に司天監が占星術を持って天の代わりに発言し君主を説得できる権威を持つと同様だ。国家統計局の官吏は権力分配のことを「従来のGDPを政治業績の結果から全面的に評価する一つの経済指標として、環境保護局は模擬活動の中で主導的地位を占めるべきかはまだ議論する必要がある。」と率直に語った。(「ビジネス週刊」、2006年7月25日より)

 そして、単なるGDP、即ち「発展こそ硬い道理」の公表数字を求め、「政治業績の審査方法」を数字だけで評価する傾向は、教育の商品化即ち「大学がお金を操る」のような文明時代に後世、恥を残すだけでなく、「官徳が破壊、民風が悪化」の結果を招くことにもつながり兼ねない。比較的経済発展が立ち後れる四川で2005年に起こった病死豚不法取引事件は、この現象にレッテルを貼り付けたようなものだ。

 三、「発展の危機」はすでに全面的に現れた

 GDP片方不可変的モードは、「改革をやり続け動揺しない」の新しいイデオロギーになるのではないだろうか?経済学の論理と治国策略の面から言えば、解答は「ノー」だ。中国が直面している根本的な問題は公共精神構造効率の巨大な損失にあり、即ち深刻な制度矛盾論が存在している。

 一つ目、民主制度へモデルチェンジする「ぼんやりとした方向付け」があるが実現の計画がなく、民主的な願望は多くは外交辞令に変身した。これは政治道徳の危険だけでなく、環境汚染のような国のマイナス資産でもある。このようなことを長い年月積み重ね、危機を辛抱して遣り過ごすことは、かえって全面的な社会崩壊に繋がる。

 二つ目、制度崩壊を阻止しながら方向を一変する決意がない矛盾論の下では、如何なる改革の口実もまったく効力がない。姚立法が自由に選挙に参加する際に恐喝に遭ったことは、中央党校の政治改革(提案)大綱と、一体どんな関係にあるか?

 間違いないのは、恐喝事件の発生は大いに政治改革構想(例えば県レベル直接選挙の主張)の信用を失墜させた。

 三つ目、「憲法」に弾力性を持つ部分、特に信仰の自由の部分で、政府(この種の公共精神)はずっと本来個人的でなお且つ、とてもプライベートな個人空間に介入行為を実施しようと試している。もっと賢明で、合理的な、双方がお互いに信頼できる制度がないため、公共精神と個人(集団)との対決の結果は益々頻繁に発生することになる。

 効率が良くないながら全社会に支持される公共精神(例えば地方人民代表大会)でも、効力を発揮する時、「安定する特権を守る」からの抑圧をも受けざるを得ない。近頃、四川仁寿県警察が省人民代表大会に闖入し、省人民代表大会が要請した陳情者を逮捕した事件(南方の新聞業界ネット、2006年7月27日)が、再たび「GDP―安定」モードの政治的結果を表した。これで国際社会の温和な力=米国鳩派は一つ巨大な疑問を禁じざるを得ない:中国の経済発展はある程度に到達したら自然に民主にまで繋ぐ――これは本当だろうか?この疑問の下で、中国国際環境が全体的に悪化する「内部に制度、外部に開放」の現状を思いつつ分析もできる。

 全面的な「発展の危機」は本来、経済成長のモードを変えることを要求するだけではなく、最も根本的なことは、公共精神が作った構造の骨組みの中で、各利益集団の間で「交渉できる」、即ち先入観を持たない制度を提供することにある。中国の各利益集団の間の衝突はすでに(公共)群体事件とみて釈明できない。なぜなら、群体事件が主に公共政策を的にするが、小集団の間の衝突は「交渉できない」――代理人が欠席することで招いたのだ。

 現在、中国共産党の政権を握っているエリート集団はまだ政治学理論の上でこの点を理解することができずに、あるいは彼等自身(利益が損われたか)のリスクを単に評価する傾向にある。そのため、社会各集団の間の衝突がますます深刻になる。2005年6月11日の河北定州油縄村事件、そして北京は管理ソフトウェア学院が襲撃された事件(京華時報、2006年7月22日)、更に人権状況が非常に問題になる山東境界内(東営)に発生した20数人が銃を握って当事者奪回事件(齊魯夕刊、2006年7月22日)などは皆、社会全体の崩壊傾向がますます深刻になり、多くはもともと交渉で解決できる問題を今、簡単に集団暴力まで訴えるようになったことを物語っている。このような集団暴力自身は、公共精神の不足が原因で招いた人格の尊厳喪失の結果であり、多くは経済利益(つまりいわゆるお金の問題)ではない。中国の古典社会(あるいは大きな王朝を言う)の崩壊寸前の状況を考えてみると、そこに小集団の間の憎しみは強烈でそれ故平民暴動者が平民を皆殺しにした。

 口でいくらでも文化伝統を尊重することを唱える政治集団は、古典から教訓を得ようともしない、かえって合法的(表面上まるで合法的)な暴力で陳光誠事件のような案件を抑え、これ自身政治常識の欠如、及び政治道徳と誠実の欠如である。



 
2006年7月23日に山西を考察する途中で構想

 7月25日に北京で資料収集

 7月27日にモンゴル泊頭「綿逸」書斎にて脱稿


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