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温故知新 刻舟求剣からの教え ――他人の愚かさを鏡に、自らを反省
【大紀元日本8月10日】刻舟求剣(舟に刻んで剣を求む)という物語は、『呂氏春秋』に出てくる寓話であるが、その内容は、以下のようなものである。
「楚国に住む一人の人が舟に乗って河を渡っているときに、持っていた剣が河に落ちた。すると、この人は、あわてて舟に目印をつけて、『わしの剣が落ちたのはここだぞ』と言った。やがて、舟が止まった。すると、彼は舟につけた目印のところから河に入って剣を探した。舟はすでに動いてしまっているのに、剣は落ちたままである。このようにして剣を探すことは、可笑しいのではないだろうか」。
これを読めば、少し常識がある人なら、誰でもこの楚国の人が時勢の推移を理解せず、いつまでも旧習を固守し、広く時勢に適応しようとしない愚かさを笑ってしまうでしょう。しかし、こんな単純な物語を、『呂氏春秋』に載せて、2000年以上伝える意味があるのでしょうか。もしかすると、そう単純ではないかもしれません。この楚国の人の教訓から、私たちが反省すべきことはないでしょうか。
現代科学は、非常に再現性を強調しており、再現性がなければ、科学として認めず、たとえ客観的事実があっても、その存在さえ否定する傾向があります。しかし、忘れてはいけないのは、現代科学の知見は、すべてある特定の時間と空間の範囲で得られたものであり、時間と空間の変化とともに、これらの知見も変わるはずですが、現在、過剰に科学を崇拝する人は、科学知見の局限性を忘れて、この有限の空間と時間の中で得られた科学知見だけで、すべての自然現象、生命現象を評価し判断しています。
もし、絶えず去っていく時間を流れている河の水に喩え、常に変化している空間を動いている舟に喩えて考えてみれば、現代人が犯した過ちは、この楚国の人が犯した過ちと同じではありませんか?人間が愚かな楚国の人を笑っているときに、違う空間にいる生命は、人間の愚かさを同じように笑っているかもしれません。
こう考えると、『呂氏春秋』に載っているこの寓話は、非常に意味深く考えさせられます。
(愚人)
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