【大紀元日本5月1日】ある日、友人と郊外へ釣りに出掛けた時のことだ。絶好の天気に恵まれたため、友人の妻が生後四ヶ月になる娘を連れてきた。手を伸ばし、覆い隠された赤ん坊の可愛い顔を拝見しようと覗き込むと、彼女のつぶらな瞳がこちらをじっと見つめていた。澄み切った湖のような彼女の目は、私を驚かせた。汚れがなく、子供が生まれつき持っている好奇心以外には何にも感じさせない、あの無邪気な眼差しに、一瞬心が震えた。人の初めは皆、純潔だったのだ。
あれから数年経っても、あの澄み切った湖のような目が時折目の前でちらつくことがある。その時、私は純潔という名の魅力に思いを馳せ、そして人として聖なる道へ帰還することの意味とその可能性を考えさせられる。
その目と出会って以来、ある癖がついてしまった。それは、他人の目をよく観察する癖である。もちろん、私が観察するのは四ヶ月の赤ん坊ばかりではないが、あれほどきれいな目と出会うことは二度となかった。
私に見えたのは、矜持な目、卑屈な目、自慢する目、憂える目、朗らかな目、陰険な目、誠意のある目、偽りの目・・・その殆どはこれ等の特徴が入り混じったものであり、あの子の目と比べれば、ただ混濁としたものに過ぎない。
一般的に言えば、人の心には必ずよこしまなものがあるわけではないが、しかし、世俗に染まるのも免れないことだ。
ある出版社を通じて写真付き自筆散文集を出した時、幼いころの写真がでてきた。意外にも写真に写っている八ヶ月の 自分は綺麗な目をしていた。あの子の目と同じように清浄無垢な目だった。しかし、残念ながら、十代には苦難に満ちた少年時代の憂鬱な面持ちの目から、二十代には若干、軽蔑の眼差しへと変わってしまっていた。まさにその時の、うぬぼれ屋だった自分を如実に写していた。そして三十になり、目には愁色、むしろ戸惑いを湛えていた。その時の目は自分の世に対する選択と躊躇を映し出し、四十の時、目が鋭くなり、その目つきは人生の悩ましい栄枯盛衰に混迷してしまった私が映し出されている。そして現在、呆然とした冷めた目はまるで自分の愚痴に満ちた人生を物語っているようだ。
ただ、確実であることは……生後八ヶ月から、私の目がだんだん混濁してきてしまった事。ずっと清らかに生きることはできないのだ、と私は思う。ならば、人生はまるで清澄から混濁へ移り変わっていく過程なのだろうか?
成長につれ、人間の本質も複雑になる。それは生存するための身についた適応性ともいえるが、しかしその複雑さが目を通して表わすのは濁りである。
複雑になることを拒むことができないように、穢れることも拒絶できない、やむを得ない事なのだ。しかし、かつて、私たちの目がきれいだったことを忘れてはならない。
もしも、まだ清々しさに震撼させられるならば、心の中に少なくともある一箇所の聖地が残っていると言えよう。それは聖なる純潔への憧れと崇拝。
そう、聖なる純潔への憧れと崇拝のために清々しさが懐かしく思われるのだ。
残念ながら、染みが付いてしまった真っ白なシャツを、いくら洗っても元の白さに戻すことができないように、もう単純ではなくなった心を浄化し、子供の純粋さを取り戻す事は不可能だ。では、どうすれば良いのだろうか。まさか濁流の流れに従うわけにはいくまい。
ある山のお寺で、ひとりの老人に出会った事を思い出す。あの日、突然お寺の前の芝生で蛇を発見した私は、やっつけようと思って石やブロックを見つけるためうろうろしていた。すると見知らぬ老人が現れ、にっこりと私たちに言った。「そっとしておいてあげなさい、これは生かすべき生き物だ。さあ、逃がしてあげましょう」。呆然とする私たちの前で、老人はその蛇を逃がしてやった。
あの老人の慈悲深くて、かつ知性に溢れた眼差しが何年経っても目に浮かぶ。その目は穏やかで、深遠だった。その時から、私はあることを悟った。つまり、純潔を取り戻せなくても、慈悲なる気持ちを持って、知的で、深遠で、穏やかな心を持つことはできる。まさにそうなったとき、既に純粋と混濁の境界を越えたことになるのではないか。そのときは聖なる、清らかな目を持つことができるのではないだろうか。
言い替えれば、子供のような純粋さから遠ざかっても、聖なる清澄を探求するのを諦める必要はない。そう、決して諦めたりしない。なぜならば、私の心の奥底には、たとえ小さくとも清々しいものがまだ残っているのだから。
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