焦点:ほころぶ「北欧福祉モデル」、デンマーク選挙の争点に

2019/06/05
更新: 2019/06/05

Jacob Gronholt-Pedersen

[コペンハーゲン 29日 ロイター] – 平等なユートピアを模索する世界中の多くの人々にとって、北欧型の福祉国家モデルは、長年のあいだ憧れの的だった。だがこのところ、その北欧モデルに軋みが生じている。

人口高齢化を受けて、北欧諸国の政府は何年もかけて、「ゆりかごから墓場まで」式の寛容な福祉国家を少しずつ骨抜きにしてきた。苛立った有権者が「もうたくさんだ」と声を上げるなかで、デンマークで6月5日に予定されている選挙が1つの転機になるかもしれない。

デンマーク国民は、他の北欧諸国の市民たちと同様、世界でも最も高い部類に入る税金を喜んで納めてきた。全国民を対象とする医療、教育、高齢者介護サービスのために、払う価値のある代償だと考えていたからだ。

だが、公的債務削減のために歴代政権が支出を削減してきたことで、かつては無料だったサービスを自費で負担しなければならない人が増えてきた。

「デンマークでは非常に高い税金を払っている。それは構わない。だが、その見返りとして、それなりのサービスは期待してもいいだろう」と語るのは、年金生活を送るSonja Blytsoeさん。

Blytsoeさんの92歳になる母親は認知症を抱えているが、デンマーク中部のアセンス市の当局から、介護施設の居室の清掃回数を、これまでの約半分に当たる年10回に減らすという通告を受けた。

月9000クローネ(約14万7000円)の国民年金で生活している母親には、月約1000クローネを払って民間の清掃業者に依頼する余裕はない、とBlytsoeさんは言う。

こうした公共サービス削減に対して人々が溜め込んでいる怒りを示すかのように、この市当局の措置はソーシャルメディア上での激しい抗議を呼び、この件について首相が国会でコメントするに至った。結局、この決定は覆された。

こうした福祉国家のほころびは、今回実施されるデンマーク総選挙でも最重要の争点となっている。この国では、個人所得の平均36%を毎月国家に納めているのだ。

世論調査によれば、自由党のラスムセン首相が中道左派の社会民主党のメッテ・フレデリクセン氏に敗れ、政権を失うことが予想されている。

フレデリクセン氏の社会民主党は、公的支出の拡大、増税を通じた企業・富裕層による福祉サービスの費用負担の拡大、40年働いた人の早期退職を認め、近年の段階的な年金改革の一部を撤回するといった公約を掲げて大衆的な支持を獲得している。

だがラスムセン首相は、「夢を売り歩いているだけ」とライバルを批判する。

今年初めに行われたテレビ討論で、ラスムセン首相はフレデリクセン氏の年金政策について、「大勢の有権者を失望させるか、国庫に大きな穴を開けるか、どちらかになる」と指摘した。

<進む民間頼み>

「北欧モデル」は、世界中の左派政治家や活動家の多くから、福祉国家の模範として称賛されてきた。

例えば前回の米大統領選では、民主党大統領候補に名乗りを上げたバーニー・サンダース氏が、米国の理想的な未来のビジョンの手本としてデンマークを挙げた。

だが、デンマークが直面している厳しい選択は、ベビーブーム世代が徐々に退職年齢を迎えている他の北欧諸国でも見られる。不安の高まりを感じつつある有権者は、これまで大切にしてきた福祉モデルを守るよう政治家への圧力を強めている。

フィンランドでは4月の選挙で、福祉コストの増大に対応するための増税を訴えた社会民主党が20年ぶりに第1党となった。

欧州有数の富裕国の1つであるスウェーデンでは、移民・福祉をめぐる懸念を背景に、昨年の選挙でナショナリスト政党のスウェーデン民主党への支持が急増した。

それでもまだ北欧諸国は、米国、ドイツ、日本といった財政規模の大きい他の 経済協力開発機構(OECD)諸国と比較して、貧困層、高齢者、障害者、病人、失業者に向けた社会給付に対する国民1人あたり公的支出という点で上回っている。

デンマークでも、国内総生産(GDP)に占める公共福祉関連支出の比率は28%で、フランス、ベルギー、フィンランドに次ぐ高率となっている。

だが、20年に及ぶ経済改革を経て、デンマーク国民は現在の現状に不満を抱いている。

医師による無料診察からがん治療に至る全般的な医療サービスの削減により、過去10年だけでも国営病院の4分の1が閉鎖された。

最近の調査によれば、デンマーク国民の半数以上は、公的な医療サービスが適切な治療を提供してくれるとは信じていない。業界団体であるデンマーク保険年金協会によれば、その結果として、デンマークの総人口570万人のうち民間医療保険への加入率は、2003年の4%から33%にまで跳ね上がったという。

この他にも、過去10年間の削減によって国立の学校のうち5分の1が閉鎖され、介護ホーム、清掃、病後のリハビリといったサービスに対する公的支出も、65歳以上の国民1人あたりでは4分の1減少した。

また2000年代に入って以来、歴代の政権は、人々がより長期間働くことを促すような不人気政策を推進してきた。たとえば、現在65歳とされている定年退職の年齢を数十年かけて世界で最も高い73歳まで引き上げたり、早期退職給付を段階的に削減し、失業給付を4年から2年に短縮するといった政策である。

<財政支出の拡大競争>

こうした政策によって、2010年以降の経済成長率は欧州連合(EU)平均を上回る平均1.6%を記録し、財政状況も改善されたが、今回の選挙によって風向きが変わる可能性がある。

フレデリクセン氏は、福祉を支えるため、今後5年間にわたり、公的支出を年0.8%ずつ増加させると発言している。2025年の時点で370億クローネに相当する。

テレビ討論の席でフレデリクセン氏は、ラスムセン首相に対し、「現在の(福祉)水準を維持するために必要な支出にあなたが賛成できないのは、減税のための余裕を確保しておきたいからだ」と言った。

とはいえ、そのフレデリクセン氏も、財政赤字がGDPの0.5%を超えることを禁じる2012年の法律に縛られることになる。これは、上限を3%とするEUの規定よりもはるかに厳しいものだ。

それにもかかわらず、財政支出拡大に関するフレデリクセン氏のメッセージは、人々に好印象を与えている。これと併せて、移民に対するスタンスを厳しくしたことも、反移民を旗印とするデンマーク人民党から支持者を奪ううえで有効だった。

ラスムセン首相は、テクノロジーの進歩や医療、高齢者介護といった分野への民間企業の参入を促すことで、満足できる水準の福祉を実現できると主張している。

だが同氏は今月になって、有権者の懸念に対応するために方針を変え、公的支出を年間0.65%ずつ増加させるという新たな計画を発表した。社会民主党の数字とほぼ同じペースだ。

<人が足りない>

エコノミストによれば、デンマークの政府総債務残高はGDPの40%とOECD諸国平均の111%よりかなり低く、また単年度の財政収支はほぼ均衡していることから、福祉支出を拡大する余地はあるという。

だが、ノルデア・グループのジャン・ストーラップ・ニールセン氏は、「看護師を新たに1000─2000人増やす」など、双方の候補者が主張している選挙公約の一部は、雇用者数が277万人、すなわち労働人口の97%という過去最高水準に達している現在において非現実的だと指摘している。

「問題は人手不足だ」とニールセン氏は言う。「当面、政治家ができることはあまり多くない。病院に新しい看護師が1000人必要だと主張しても、どこにもそれだけの人材は見つからない」と、同氏は付け加えた。

ニールセン氏は、公共支出の拡大は経済を過熱させ、民間部門から公的部門に移る人が多くなれば、将来的な経済成長にとってもマイナスになる恐れがあると警告する。

冒頭で紹介した年金生活者のBlytsoeさんは、母親が受ける介護サービスが削減された期、訪問するたびに母親の居室をできるだけ整頓するように心がけたが、それまで国家が提供していた定期的な清掃までやることは拒否したという。

「もし私がやってしまえば、市はコストを削減し、その穴を私たちに埋めさせるという目標を達成したことになっていただろう」

(翻訳:エァクレーレン)

Reuters
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