【大紀元日本4月21日】本年4月15日は、民主派政治家、中国共産党元総書記・胡耀邦氏が亡くなって20年、6月4日は天安門虐殺事件から10年目を迎える。中国警察は15日から天安門広場の保安、警備にレベルアップした。
ラジオ自由アジア(RFA)によると、20年前の民主派政治家・胡耀邦氏の死去は天安門虐殺事件のきっかけとなった。報道によると、4月15日から天安門広場の保安及び警備はレベルアップされ、戒厳状態になった。戒厳は6月4日まで継続とされており、全国政治高度敏感期間に入った。政治敏感期に備えるための戒厳は10月1日国慶節まで行われるという噂もある。
1989年天安門流血鎮圧時に北京大学の学生、現在米国に住む向さんは、当時天安門広場の学生抗議活動に積極的に参加した。「胡耀邦氏が逝去した日は敏感であり、5月4日は学生運動、6月4日は天安門虐殺事件、7月1日は共産党創立、7月20日は法輪功への残虐弾圧が開始され、10月1日は国慶日、中国政府にとっては、どの日も敏感と言ってもいいぐらいだ」。
向さんによると、1989年胡耀邦氏が死去し、北京の各大学が同氏を記念する文章を挙げた。追悼に参加する学生の数は多く、まもなく大規模な民主活動となった。 | | 共産党軍隊の銃殺が開始後、速やかに民衆の救援活動が始まった |
 | | 市民や軍人も大学生の民主運動に参加した |
1989年当時、北京学生運動リーダーの一人・王丹氏によると、胡耀邦氏が80年代の中国の改革と発展に大きな貢献をしたことから、学生と市民が自主的に胡耀邦氏を追悼するようにしたという。
「胡耀邦氏は中国共産党の指導者として比較的見識があり、民主を求めた。この点は世間に認められた。しかし、独裁を貫く共産党内部に居る彼は排除され、失脚した運命を逃れなかった。当時の大学生も自由を望んだ。民主派の胡耀邦氏の失脚はみんな惜しいと思った、これをきっかけに、学生らは民主と自由を求める行動が爆発した」。
1989年4月15日、胡耀邦氏が突然に死去し、17日に学生約700人が天安門に集まり献花した。22日に大学生数千人が人民大会堂前で集会を行った、胡耀邦氏の追悼会に参加することを求めた。4月26日に中国共産党機関誌「人民日報」は社説を発表し、学生の集会やパレードを「一握り」の者が計画した政治動乱と非難した。4月27日、数万人の大学生が大規模なデモを行った。このデモは初めて「民主 反汚職」のスローガンを揚げた。更に、学生を応援する北京市民もデモに参加し、数十万人にも達した。このデモは1989年北京民主運動となり、まもなく全国に波及した、6月3日深夜から翌日明け方にかけて、中国軍数十万人が戦車などの軍用車両を使って、北京市内に突入し、抗議する民衆に向かって、機関銃で掃射し、大勢の学生と市民が中国解放軍によって銃殺された。
王丹氏は中国政府が4月15日と6月4日を敏感日として扱っており、毎年この日に天安門広場で厳重警戒を敷いている。このことは、政府自身もその時の流血鎮圧は民意に背いていることが分かっていることを証明しているようなものだと指摘した。
天安門を戒厳の形で守っていても、歴史の事実を抹消することはできない。王丹氏は中国政府が正面から歴史と対峙し、誤りを認め、未来中国の調和と発展を図ろうと呼びかけている。
(翻訳・楊J)
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