【大紀元日本11月3日】
1300年前の唐の時代に国を統治していた唐玄宗は音楽を好み、音律にも精通し、作曲も得意であった。唐玄宗は唐の宮廷楽団を「立部伎」および「座部伎」に分け、「立部伎」は立ったままで演奏し、室外で行う比較的に規模の小さいもの。「座部伎」は室内で座って演奏し、規模は比較的大きく、豪華さと迫力を重んじるものだった。
唐玄宗は、梨園で選び抜いた300人に自ら音楽を教え、間違いがあるとすぐに指摘し正すなど厳しく指導していた。その場所には、梨が多く植えられていたことから「梨園」といわれている。唐玄宗の指導を受けた300人は後に、梨園弟子と呼ばれた。演出に参加した数百人の女官も梨園弟子と呼ばれた。
かつて、玄宗が寵愛した楊貴妃のために建てられた「華清宮」は、外国の使節を迎えることにも使用されるようになった。迎賓大使が天子の聖旨を捧げ歩いてきて、梨園弟子が奏でる雄壮な古楽が鳴り響くと共に、8人の雄雄しい旗手が厳かに貴賓を迎える。そして、6人の女官は綺麗な衣装を身にまとい、宮灯を手に青銅製の鏡を献上し道案内する。梨園弟子はしなやかに舞い始め、迎賓を迎える豪勢な儀式を繰り広げる。大唐天子の最高威儀が表現できる。
後に「梨園」は、劇場または演劇界の別称になり、「梨園弟子」は歌曲、演劇、舞踊等を行なう芸人を指すようになった。
「正見ネット」より抜粋
(09/11/03 05:00)
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