中国伝統文化の精髄-「二十四孝」(4)

2007年09月28日 01時00分
 【大紀元日本9月28日】「孝」は儒家の倫理思想の核心であり、長い間中国社会で家庭関係を維持するための道徳基準であった。それは、中華民族の伝統的な美徳であり、中国伝統文化の精髄でもある。

 元の郭居敬は、中国古代の孝行が特に優れた24人の故事を集め、「二十四孝」を編集した。後に絵が配され、「二十四孝図」として孝行の道を広めるための通俗読み物となった。


 
(江革・「二十四孝図」より)

10 江革


 江革は、東漢時期の斉国・臨淄の人で、幼くして父を亡くし、母親に仕えて孝順を尽くした。戦乱の中、江革は母親を背負って難を逃れたが、幾度となく匪賊や盗賊に遭って殺されそうになった。江革はそのたびに、「老母はもうこのように年をとっている。私がいなくなったら、一体誰が面倒を見るのか」と泣いて訴え、賊はその孝行を見て殺すに忍びなかったという。

 後年、彼は江蘇下邳に転居し、日雇い工として働いたとき、自らは貧乏しても、母の必要なものは十分に揃えた。彼は明帝の時に親孝行で廉直な人物として推挙され、章帝の時には才徳兼備で公正な人物として推挙されて、「五官中郎将」に任じられた。


 
(陸績・「二十四孝図」より)

11 陸績


 陸績は、三国時期の呉国・呉県華亭(現在の上海市松江)の人で、科学者であった。六歳の時、父親の陸康に随って九江に行き、袁術に謁見した。袁術が蜜柑を出してもてなしてくれたところ、陸績はその蜜柑を二つこっそり懐に入れた。

 ところが、帰ろうとした時、蜜柑が懐からこぼれ落ちた。袁術はそれを見て嘲笑して、「陸君はお客さんとして来たのに、何でこっそり蜜柑を持って帰ろうとしたのかな?」と問うた。すると陸績は、「お母さんは蜜柑が好きなので、持って帰って食べさせてあげようと思ったのです」と答えた。袁術は、陸績がこんなに幼いのに親孝行であるのに驚いた。

 陸績はその後、博学で知識多彩となり、天文、暦算に通じ、「渾天図」を創作し、「易経」に注釈をつけ、「太玄経注」を著した。


 
(郭巨・「二十四孝図」より)

12 郭巨


 郭巨は、晋代の隆慮(現在の河南省林県)の人で、裕福な家の生まれであった。父の死後、彼は家の財産を二人の弟に与え、自分は母を引き取り、親孝行を尽くした。

 ところが後に、家の暮らし向きが次第に苦しくなった。そんなとき、妻に男の子が生まれたが、郭巨は、子供を養えば、母に食べるものも十分与えられず、孝行ができなくなるのでないかと心配した。

 そこで彼は妻に、「子供はまた授かればいい。でも母親は死んだらそれきりだ。子供を埋めてしまって、母に孝行したらどうだろうか」と相談した。

 そこで、夫婦が子供を埋めるために穴を掘ったところ、土の中から黄金の入った壷が出てきた。壷には、「天が郭巨に賜る。誰も取ってはならない」と書いてあった。夫婦は、その黄金を手にすると、家に帰って母親に孝行を尽くし、子供も養うことができたのである。

(翻訳・太源)

関連キーワード
^