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【乾坤に生きる】「自然」へ帰った詩人・陶淵明 ③

 【大紀元日本11月30日】暗黒の時代にあって人間はどう生きるか、ということを考えながら本文を書いている。

 狂気的な社会環境になったとき、正常な人間は狂う。あるいは酒や薬物の力を借りて感覚を麻痺させようとする。さらに身に危険が迫った時には、同じく酒や薬物の力を借りるか、または発病したふりをして、「狂」を装う。

 つまり、日本人の想像を越えたところに、中国の「狂」の歴史は実在するのである。

 いま話題としている3~5世紀の中国分裂の時代においては、「五石散」という五種類の鉱物からつくられた麻薬があり、上流貴族の間では相当これが流行していたという。麻薬であるから当然人体に害があるし、用法を誤れば死亡する。もちろん今日、麻薬は許されるものではないが、この時代「五石散」は必要とされていたのである。

 また、このころの反儒教の風潮、たとえば阮籍・嵆康らがおこなった儒教批判についても、どうやらその真意は別のところにあったらしいのである。

 その問題に大きな示唆を与えてくれるのが、魯迅(ろじん)が1927年に広州でおこなった講演「魏晋の風度および文章と、薬および酒の関係(魏晋風度及文章与薬及酒之関係)」である。その講演で、魯迅は次のように述べている。

 「阮籍・嵆康らが儒教を批判して破壊したように言われているが、
魯迅=1936年=(Wikipediaより)
それは間違いであろう。魏晋の時代には、儒教を信奉した者がいかにも立派そうに見られていたが、じつはそういう偽の信奉者こそが、儒教を信じてはいなかったし、儒教を破壊したのである。彼らが儒教を尊崇したのは、私利のためだったからに過ぎない。それに対して、表面的には儒教を否定した者のほうが、本当は儒教を認め、儒教をあまりにも深く信奉していた。だから偽の信奉者たちを断じて許せなかったし、憤りを感じていた。しかし、どうすることもできない。そこで、憤りが変じて儒教を語るのをやめた。儒教を信じるのをやめた。儒教に反対するようにさえなった。だが、それは態度だけであって、彼らの本心はやはり儒教を深く信じていたはずだ」(引用は要約。原文では儒教を「礼教」としている)

 「狂」を装う「竹林の七賢」の真意を、魯迅はまさに見抜いているように私は思う。

 (そういえば、映画「芙蓉鎮」の主人公・秦書田も「狂」を装っていた。もちろん生き抜くために、である)

 そのような「狂」の時代を経たのちに陶淵明の時代が来る。このときも王朝が変わろうとする東晋の末期であったから、平穏ではない。しかし彼は「自然」に帰った。
(続)


 (07/11/30 08:32)  





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