THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(31)「血だらけで担ぎ込まれた養父」

2008年05月04日 00時00分

 養母の家で迎える初めてのお正月と養父の仁愛

 私と弟が沙蘭鎮に来てからはや数カ月が過ぎ、私たちは中国語が話せるようになりました。ある日、我が家に二人の軍服を着た若い男の人が、何やら入った二つの麻袋を持ってやってきました。中には、凍った雉やら野ジカやら食糧などが入っていました。私の養父が数日後に山から下りてきて家でお正月を過ごすということです。

 もうすぐお正月がくると聞いて、私はまた、半年前、開拓団本部で母が言ったことばを思い出しました。「お正月には東京に戻って、お婆さんやお姉さんと一緒に過ごそうね」。

 本当に、まもなくお正月がやってきます。しかし、母と父は今どこにいるのか分からず、生きているのかさえ分かりませんでした。二人の弟もどこへ行ったのだろうか。まだ生きているのだろうか。私はまた禁じえず、彼らのことを思い出しました。

 私と弟が中国人の家に来てから、初めてのお正月でした。弟の養母は、彼に綿入れの上着の上に羽織る一重の上着と、小さな帽子を作ってくれました。弟の「一」は、襟の詰まった中国式の上着を着て小さな帽子をかぶると、ちょっと見には日本人の子供には見えず、完く中国人の子供でした。彼は、逃れて来たときよりも太り、ほっぺたは紅く、さらに可愛く賢そうに見えました。私は、自分の愛しい弟がこの家で可愛いがられているのを目にして、ほっとすると同時に、うれしくも思いました。

 私の養母はよく一人で遊びに出かけ、家にいることはあまりありませんでした。唯一そのときが、私が最もほっとする自由な時間でした。養母が不在の時、私は王おばさんの家に行って、王潔茹と「ガラハ」遊び(一種のサイコロ遊び)をしたり、中庭で弟と縄跳びをして遊びました。このときだけが、私の幼少期のわずかばかりの楽しみでした。

 しかし、養母が帰ってきたら、私はすぐに遊びを止めました。他の子たちも私の養母を恐れていて、養母が戻ったのを見ると、すぐに「あなたのお母さんが帰ってきたよ」と教えてくれました。王おばさんや趙おばさんも同じで、私の養母が出かけるのを見ると、そっと私に、「遊びに出てきてもいいよ」と言ってくれました。

 お正月を迎えるに当たって、中国人は一年のほこりをきれいに掃除する習慣があります。また、「かまどの神様」が天に昇るともいいます。どの家もとても賑やかで、大人も子供もみんなお正月が来るのを楽しみに待っています。

 養父がまもなく戻ってくるということで、養母は私に部屋の掃除をさせました。部屋は別に大きくはなかったのですが、ずいぶんほこりをかぶっており、特にかまどのあたりはほこりが多くて、一番汚れていました。私はまだ小さくて、手の届かないところがあったので、弟の趙全有に椅子を持ってもらって掃除したりもしました。

 私はそれまで、そんなにほこりまみれのところを掃除したことがなく、以前見たこともありませんでした。後になって段々と分かって来たのですが、中国東北部の農村は地理と気候が違うため、日本とは異なる風俗習慣があったのでした。

 いまだ会ったことのない「父」がまもなく帰ってくるというので、私の心は不安で落ち着きませんでした。そして、そのときの父が帰ってきた情景は、私の心に深く刻まれました。なぜなら、その情景はあまりにも特殊だったからです。

ある日、御飯を食べていると

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